「天気次第。冬の剱岳に登れるのは5~10年に1度」。馬場島荘の管理人である池田則章さんは、日本有数の難関として知られる富山の名峰についてそう語る。厳冬期の剱岳は全国のクライマーにとって「憧れの山」であり、その険しさゆえに挑戦を続ける登山者たちがいる。そして、その挑戦を支える山小屋がある。

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剱岳・早月尾根ルートの登山口に建つ「馬場島荘」

上市町伊折から先は冬季の除雪が行われないため、剱岳登山・早月尾根ルートの登山口「馬場島」へ行くには、約8キロを3時間かけて歩かなければならない。

標高750メートルに位置する「馬場島荘」は、冬期は11月下旬~4月下旬は閉めているが、年末年始のみ小屋を開ける。それは厳冬期に剱岳を目指す登山者のためだ。管理人の池田則章さんは5年前まで山岳ガイドとして活躍し、厳冬期の剱岳に20回挑戦するも登頂を果たしたのはわずか6回だという。登はんの難しさに加え、日本海側の厳しい気象条件が重なり、わずかな判断ミスが命取りになる危険な山なのだ。

厳しい天候との戦い、安全第一の決断

この日、剱岳へ挑むパーティーが出発した。東京、大阪、松本から集まった登山者たちだ。

「初めて挑戦!」と意気込む登山者もいれば、「6回トライしたけど失敗。特別です。真冬の剱は、厳しい」と経験を語る登山者もいた。山岳ガイドの本郷博毅さんに率いられ、「行ってきます!」「良いお年を!」と元気に出発していった。

「馬場島荘」の隣には、剱岳方面の冬山警備の要である「馬場島警備派出所」がある。富山県警察山岳警備隊の野中雄平副隊長が出発したパーティーの状況確認に訪れていた。

「雪のことかなんか言ってました?」と野中副隊長が尋ねると、池田さんは「吹雪だって」と応える。「だいぶ吹雪いとるがですね。もうやっぱ進むがも厳しいから降りてこられる」と野中副隊長。池田さんは「安全第一で」と返した。

午後3時、朝に出発した4人のパーティーが戻ってきた。

「敗退です。仕方ない、この天気だ」

「恥ずかしながら帰ってまいりました」

山岳ガイドの本郷さんは荷物を置くとすぐに「派出所」へ向かった。剱岳へ上る登山者は行きと帰りに必ず立ち寄り、情報を共有するのだ。

「1600の下まで、もうそこから上がれなかったです。無理せず帰ってきました」と本郷さんは報告した。上部の状況を聞かれ、「吹雪、吹雪です」と答えた。

年越しそばでもてなす馬場島荘

小屋では新しい年を迎える準備が始まっていた。池田さんがとりかかったのは馬場島荘名物の「手打ちそば」である。

「やっぱうれしいね。冬の剱岳に登るクライマートップクラスの人だから。そういう人接待できるのは幸せ」と池田さんは語る。夏場は15食限定で提供しているそばを、この日は宿泊者全員に年越しそばとしてふるまった。

年末年始の8日間だけオープンする「馬場島荘」は、厳しい冬の剱岳のふもとで毎年、登山者たちを支えている。馬場島荘はゴールデンウィークからオープン予定で、池田さんの手打ちそばと山菜の天ぷらを味わえるという。

24年越しの夢、剱岳登頂を果たした登山者たち

厳しい冬山ではあるが、前年の12月27日から入山したパーティーは好天に恵まれ、剱岳登頂を果たしたという。岩手県から来た及川英明さん(54)と青森県の高野正則さん(58)だ。

「夢でした。叶いました」と高野さん。

「ラッセル大変でした」と及川さんは振り返る。

及川さんは「強いパーティーが入ってくれたおかげで何とか行かせてもらったという感じです」と話す。岩壁と深い谷の険しい地形、冬の剱岳は、技術的に最も難しい山と言われている。

山頂で撮影した映像を見せてもらうと、雪をかぶった剱岳山頂の祠、毛勝三山、富山平野、立山方面の剱沢、さらには南アルプス方面、富士山、浅間山まで見渡せる絶景が広がっていた。「やったー!」と歓声を上げる及川さん。彼は30才の時に登れず、今回54才で24年越しの登頂を果たしたのだった。

厳冬期の剱岳。わずかな好天のチャンスをつかみ、技術と経験と運を兼ね備えた者だけが、その頂に立つことができる。そして、その挑戦を支え続ける馬場島荘と池田さんがいる。剱岳という山とそれに挑む人々、支える人々の物語は、これからも冬の富山で続いていく。

(富山テレビ放送)

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