プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績・伝説を徳光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!
スイッチヒッターとして初めて「トリプルスリー」を打つなど数々の日本記録を塗り替え、日本人内野手として初めてメジャーの舞台に立ったレジェンド・松井稼頭央が、スーパースターたちの素顔と自らのプレーについて語り尽くす。
【前編からの続き】
東尾監督が一軍に抜てき 盗塁成功率.955伝説
徳光和夫:
当時の西武のショートは、石毛宏典ですか、田辺徳雄ですか?

松井稼頭央:
ショートは田辺さんと奈良原(浩)さんでした。
徳光:
奈良原。こんなうまい選手がいたわけですからね。

[ 奈良原 浩(57)1990年西武ドラフト2位
遊撃手のスペシャリストとして西武など3球団で活躍。卓越した守備は同僚デストラーデも「メジャーで通用する」と評価 ]
松井:
奈良原さんが捕ったと思ったら、もうボール投げてるんですよ。
徳光:
そうですよね。

松井:
当時日本シリーズでも、解説者の方も「和製オジー・スミス」とかって言われてて、実際ノック受けた時なんか、「えー、いつ投げたの?いつそこまでボール(の前)に入っていったの?」みたいな。
徳光:
でも松井さんもそうなるんですから、のちのち。
松井:
後ろで奈良原さんのグラブの出し方とかのマネをしたり。
もうずっと奈良原さんのことを見てました。
徳光:
いい師匠に出会ったってことですかね。
2年目で、トンビさんが来るんですよね。東尾修さんがね、監督でね。
これちょっとあれじゃないですか、変化というか。

[ 東尾 修(75)1968年西鉄(現西武)ドラフト1位
「ケンカ投法」で最多勝2回・通算251勝。与死球数は歴代1位の165。1994年オフに西武の監督に就任し在任7年でリーグ優勝2回 ]
松井:
そうですね、東尾さん来られて、2年目の春に、マウイキャンプだったんですけど、そのキャンプに抜てきしていただいて。

松井:
守備練習してるんですけど、その時、東尾さんが僕のノックを見るんですよ。
捕るとこまでは見るんですよ。でも投げる瞬間、目をそらすんですよ。
たぶん、その投げてる悪送球を見ると起用できなくなるから。
徳光:
へぇ。目をつぶって、そこはもう。じゃあ(試合で使いたいから)見ないようにあえてしていた?
松井:
あれ見ると使えないと思います。
やっぱり送球って大事じゃないですか。
徳光:
そうですよね。一番大切な…。
徳光:
そのマウイキャンプを経て2年目、69試合に出て。

[ 松井稼頭央1995年度(2年目)成績
試合数64 打数204 安打45 本塁打2 打率.221 盗塁21 ]
松井:
最後ですね。後半優勝がなくなってからですね。
徳光:
やっぱり非常に驚きますのが、まだ2年目、19歳ですよね。
ルーキーでありながら盗塁が21個。これもすごいなと思ったんですけど、盗塁死がわずか1回。
これは自分、自信ついたでしょ?
足はいけるなって。盗塁の成功率9割5分5厘ですよ。

[ 21盗塁で盗塁死は1回 成功率.955 ]
松井:
でも野手になって、また速くなりましたね。
ピッチャーをしている高校の時は、やっぱりどうしても中距離・長距離のランニングをするので、足ってやっぱり1回落ちるんですよね。
プロに入って野手になって、短い距離を走るようになって、スピード上がったと思います。
スイッチに挑戦 「左右で人格を変えろ」伝説
徳光:
足が速くなって、足が使えるなと思うことになって、スイッチヒッターをやるわけですか?
松井:
その時のこの69試合出たんですけど、たぶん対左ピッチャーに3割近く打ってたと思うんですよね。

[ 2年目(1995年)の打率 対左投手.290 対右投手.190 ]
徳光:
右バッターボックスで。
松井:
右対右でたぶん2割打ってなかったんですよね。
でも1個戻ると、マウイキャンプで(打撃コーチの)谷沢健一さんに「右振ったら左も振りなさい」と言われるじゃないですか。バランスを取る意味で。

松井:
「左スイング素直でいいな。スイッチやるか?」って言われたんです。
徳光:
谷沢さん、コーチやってた?
松井:
2年目なんですけど。
徳光:
谷沢健一さん。
松井:
でもやっぱり(2年目は)野手、守備・走塁・バッティングとか、やることが多すぎるので、スイッチは封印になったんですよ、一度。「そんな時間はない」と。

松井:
で、(3年目から)土井正博さんがバッティングコーチになったので。
土井さんに、やっぱり右対右では2割打ってないんだったら、「お前の足を生かす意味でもスイッチにもう1回挑戦してみないか?」というお話をいただいて。
練習でマシーンからティーバッティングをして、土井さんがついてくれてティーをして、「マシーン行くぞ」って言われたんですよ。
マシーン行った時に、普通に立つもんと思ってるじゃないですか。
「稼頭央、ここに立て」って言われて。
徳光:
どういうことですか?

松井:
インコースのベースがあるじゃないですか。インサイドにひざがかかるぐらいのところに立たされるんですよ。
徳光:
当たる。ベースはここですか。

松井:
インコースなんですけど、ここに立たされるんですよ。
これが、ひざが割れてしまうと空振りして当たったりするし、自打球に当たるんで、「我慢して、ひざ元を打ちなさい」って言われたんですよ。じゃないと打てないんで。
いきなりそこに立たされたんで。
徳光:
当たったらアウトですもんね。

松井:
当たらないように、必死で打ちました。
右投げなんで、右側のけがって、やっぱり防がないといけないですよね。
なので、まずデッドボールをよける練習から始まるんですよ。
土井さんは特によくやられるんですけど、東尾さんが投げるんですよ。本当に当ててくるんですよ。
徳光:
東尾監督が自ら投げたんですか?

松井:
やっぱりめちゃくちゃ痛いんですよ。
監督笑ってたんで、「監督笑ってる場合じゃないですよ」と。
「でもいいんだおまえ、よける練習なんだから。痛みを感じないとうまくならないんだよ」みたいな。
「まあ確かに」って思いながら。
徳光:
当時のヘッドコーチは須藤豊さん?

松井:
須藤さんですね。
やっぱ須藤さんも1年間言われ続けましたけど、「右打席と左打席の人格を変えなさい」って。
徳光:
えっ、どういうことですか?

松井:
右打席、左打席を一緒にしちゃダメだと。
「右と同じように左も振りなさい」って言われるケースがあるんですけど、もちろん右投げ右打ちは右手が利き手じゃないですか。
右投げ左打ちなんで、こっち利き手じゃないですか。そもそも違うので。
その中で人格をまず変えなさい。右打席は「感覚」。
でも左はやっぱり作った左なんで、こと細かくチェックをしていかないといけないんですよ。
徳光:
すいませんがちょっとですね、このバットを持って、右と左の構えっていうのを見せていただけますかね。

松井:
右も結構変わっていくんですけど、バッティングも。
初め僕、右って、たぶんねこうやって(構えでバットを回しながら)打ってるんですよね。
徳光:
回してたんですか。
そっちはホームラン出そうですね。

松井:
こっちはなんか、感覚でもあまり気にせずに普通に打ってたんですけど。
左はたぶん低くして、こうやって構えてるんですけど、すごく動かしていたと思うんですけど、初めのころは。
似てるんですけど、また違うんですよ。
徳光:
違うんですか。二重人格になるってことですか。
松井:
たぶんそういうのあると思うんですよね。
徳光:
面白い。
松井:
それは本当にそう。
徳光:
面白いね、そういう言い方もね。
松井:
と言われ続けましたね。
徳光:
3年目にはもう50盗塁をされていたと。足の方で大活躍ですよ、これ。

[ 松井稼頭央1996年度(3年目)成績
試合数130 打数473 安打134 本塁打1 打率.283 盗塁50 ]
松井:
そうですね。でもこれは本当にスイッチの1年目なんですよ。
徳光:
ああそうか、3年目はね。
松井:
でもこれ、初めのころって僕全然打てなかったんですよ。
徳光:
左では?
松井:
もちろんはい。
徳光:
でも、2割8分3厘ですよね。
松井:
でも後半からなんですよ。
徳光:
そうか、後半かなり良くなってきたわけですね。

[ 1996年度打率. 283の内訳 前半戦.244 後半戦.333 ]
松井:
後半が僕良くなったと思います。
知名度&人気が急上昇 「日米野球」と「筋肉番付」伝説
徳光:
3年目の好調の勢いがそのまま、秋の日米野球につながるわけですよね。
松井:
そうなんですよ。
徳光:
覚えてます?4試合。

松井:
僕出たの、18打数10安打。
徳光:
そうなんですよ。
松井:
5盗塁ぐらいしてるんですよね。
徳光:
暴れまくってますね。5割5分6厘。すごいよね。

松井:
第5戦、これ、ペドロ・マルティネスかな。
野茂さんともここで対戦してます、甲子園で。野茂さん、ドジャースで来られてて、キャッチャー、ピアザがいて。
徳光:
あの時ですか。
松井:
当時、(第4戦までショートの)田中幸雄さんが、ヒジか何かで、途中で離脱していないから、「稼頭央行ってくれ」って言われて。
「ありがとうございます」と。(秋季)キャンプ行かなくていいわけじゃないですか。
それが一番うれしいわけですよ。しんどいだけのキャンプ。

徳光:
(全米代表監督の)ベイカーさん、全米の監督が日本で連れていきたい、「アメリカに連れてきたい選手がいるか?」と聞かれたら、松井秀喜と「リトル松井」だって。
松井:
そうなんですよ。ベイカー監督はね、「リトル松井」と言っていただいたんですけど。
このまま「筋肉番付」につながっていくんですよ。
徳光:
このあとですか。なんか、みんながいろんなスポーツに。
スポーツ王決定戦、運動神経、総合的に身体能力が一番誰がいいかって。

[ 筋肉番付シリーズ(TBS系列1995年~2002年)
プロ選手・アマチュア選手・芸能人を問わず、最強アスリートを決める番組。松井稼頭央は「第3回スポーツマンNo.1 決定戦」で優勝した ]
松井:
これも代わりで出たんですよ。その選手がちょっとひざをけがして出られなくなって。
トレーニングコーチが僕を指名して、代わりに出たんですよ。
今まで野球知らなかった方でも知ってもらえたので。
徳光:
松井さん、かっこいいからね。
松井:
ちょっと3年目って、まだ僕なんかそんなに名前も売れてないですし、その中で日米野球で結果出て、その中で「筋肉番付」で優勝したので、名前は知っていただけましたね、そこで。
名前もインパクトがあるので。
徳光:
「プロ野球ai」っていう雑誌、当時あったじゃないですか。
松井:
なかなか1位になれなかったんですよ。

[ プロ野球ai(1988年〜)
若手選手を中心に取り上げるプロ野球専門誌。「今光っているヒーローたち」という“イケメンランキング”が人気に ]
徳光:
本当ですか?常連のイメージでしたけど。
松井:
なかなか1位になれなくて、「1位じゃないんやったら、僕取材いらないでしょ」みたいな。
1位になかなかなれなかったんですよ。
徳光:
誰が1位だったの?
松井:
(高橋)由伸もいましたしね。
徳光:
気にはしてたんですね。

松井:
すごく気にしてました。
絶対見るんですよ。「今月俺、何位や?」って。
「何やねん、1位ちゃうんか」みたいな。
オールスターで古田敦也から4盗塁伝説
徳光:
なんと言いましても、私は印象的だったのは、オールスターで古田敦也から4盗塁でしたっけ。
これは忘れられませんね。
これはやってやろうと思ったんでしょ?パ・リーグの看板として。

[ 1997年オールスター第1戦
初出場で古田捕手から1試合4盗塁の日本記録を樹立した(二盗2回・三盗2回) ]
松井:
もう行くしかないんで。2盗、3盗って。
またベンチ帰ってきたら、東尾さんが「また走ってこい」って言うんで。
もう「塁出たらもう行く」って思ったんで。
徳光:
なるほど。
松井:
オールスターなので、そこまでクイックで投げないんですよ。
でもなんていうんですか、(その年の)日本シリーズの見出しが「古田さん対松井稼頭央」になるんですよ。
徳光:
そうです。それが見ものでしたから。

松井:
ってなるんで、(日本シリーズでは)全然走れなかったです。
徳光:
走れなかったんですか?

[ 1997年日本シリーズ ヤクルト4勝・西武1勝
松井稼頭央は1盗塁のみ。チームでも3盗塁。古田捕手を中心に西武の「足」を封じたヤクルトが日本一に ]
松井:
けん制もそうなんですけど。
やっぱり走れる機会というのも、そのチャンスというのが本当に徹底マークですよね。
徳光:
「松井をマーク」ですよね。

徳光:
その1997年から3年連続の盗塁王、7年連続で打率3割超え、2度の最多安打。
そして2002年に打率.332、33盗塁、その次がすごいね、36ホームラン。
これで「トリプルスリー」を達成いたしまして。
松井:
僕、ホームラン打てると思ってなかったんで。
徳光:
何がホームラン打てるような?
松井:
いや、でもこれ9本ぐらいから、いっぺん2桁って打ってみたいと思ったんですよ。
僕、中村紀洋さんにも、よくかわいがっていただいてまして、ホームランバッターにバッティングを聞くのが一番いいと思って、もちろん右投げ左打ちってあるんですけど、「ノリさん、ホームラン30本打つにはどうしたらいいですか?」って聞きに行きました。

[ 中村紀洋(52)1991年近鉄ドラフト4位
「いてまえ打線」の主軸として活躍。本塁打王1回・打点王2回。2005年にはメジャー挑戦。日米通算2106安打・404本塁打 ]
徳光:
どういう答えですか?

松井:
そしたら、やっぱりこの「上の手」ですよね。
徳光:
ちょっとすみません。分かんない。
松井:
やっぱり右投げ右打ちはこっちが利き手になるんで、こっち(右手)の使い方ってやっぱり、飛ばすのって、やっぱりこの「上の手」なんですよね。
徳光:
そうなんですか。

松井:
左打ちは、やっぱり感覚がないんで、なかなか左(「上の手」)が使いこなせない。
徳光:
左が?
松井:
どうしても、使ってるんですけど、やっぱりこっちリード、前手リードでいくんですよね。
「上の手」が弱いと、どうしてもボールに負けてしまうんで、「上の手」の使い方っていうのを教えてもらったんですよ。

松井:
僕はパワーでは打てないので、いかにボールにスピンをかけるか。
徳光:
そういうテクニックがあるんだ。
松井:
ボールのちょっと半分より下らへんのところに、うまいことヘッドが入っていけば、ボールの回転でボールを飛ばすことしかできなかったので、その練習も取り入れながら。
徳光:
長打率6割1分7割。
これが僕はびっくりしたんでありますけど。

[ 2002年トリプルスリー達成年の長打率.617
2塁打46、3塁打6、本塁打36、あわせて長打数88本。小鶴誠の85本を52年ぶりに超える日本記録を達成 ]
松井:
88長打、日本記録なんですよ。
徳光:
ホームラン、3塁打、2塁打、含めて88本?
松井:
含めて88本、その長打記録を更新したんですよね。
でもカブレラが、新記録86本の日に55号ホームランを打ったんですよ。

[ カブレラ55号は王貞治の記録に並び当時大きく取り上げられた ]
松井:
僕の記事がこんなに(小さく)なって、僕のこの長打記録っていうのが、あんまり大きく取り上げられなかったんですよ。
だからあんまり知らない方多いと思います。
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 2025年10月28日放送より)
「プロ野球レジェン堂」
BSフジ 毎週火曜日午後10時から放送
https://www.bsfuji.tv/legendo/
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