プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績・伝説を徳光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!

スイッチヒッターとして初めて「トリプルスリー」を打つなど数々の日本記録を塗り替え、日本人内野手として初めてメジャーの舞台に立ったレジェンド・松井稼頭央が、スーパースターたちの素顔と自らのプレーについて語り尽くす。

徳光和夫:
「プロ野球レジェン堂」今回のゲスト、野球界の歴史におきまして、おそらく最高と言われております身体能力の持ち主でございまして、西武ライオンズで3度の投塁王と2度の最多安打。
メジャーリーグでも活躍されまして、球界きってのイケメンでもあります。
レジェンド・松井稼頭央さんでございます。
よろしくどうぞ。

松井稼頭央(50)
松井稼頭央(50)
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松井稼頭央:
よろしくお願いします。

 [ 松井稼頭央(50)1993年西武ドラフト3位
日米通算2705安打・盗塁王3回・最多安打2回・MVP1回。トリプルスリーも達成。日本人初の“内野手”メジャーリーガー ]

徳光:
こんなご紹介でよろしいですか。

松井:
いやもう最高のご紹介です。ありがとうございます。

徳光:
番組がちょっと変わったみたい、なんかいつもと違う番組のような。
一気にゲストが若返りまして。今までで最年少。

松井:
そうなんですか。

徳光:
だいぶ差がありましたよね。

徳光:
通算2705本のヒット。そのうち日本だけでも2090安打、アメリカでも615安打。

松井:
1年でも長くと思ってましたので、その中で25年って、やっぱり自分の中でほめたい数字ではありますね。

徳光:
ありますよね。

突然で話がそれて恐縮なんですが、戸籍では、「かずお」は平和の和ですね。

松井:
そうです。

徳光:
「お」は夫ですよね。私と一緒ですよね。
なぜあの「稼頭央」になったんですか?

松井:
ちょっとまあ、僕の母親の知り合いの方が、プロに行くのであれば、名前を変えた方がいいんじゃないかっていう話をいただいてたんですよね。
僕も高校の3年生の時に、今の「稼頭央」という名前があったんですよ。
どのタイミングで変えていいのかがわかんなかったので、ちょっと封印してたんですよ。

松井:
プロ1年目も、初めは難しい「稼頭央」をまだ使ってなくてですね、ちょうど2軍戦で、2軍戦なんですけど、1軍の西武球場で試合があったので、そこで試合した時に、僕飛び込んだ時に左手を巻き込まれて、左手の靱帯(じんたい)をちょっと損傷したんですよね、そのけがを機に名前を変えたんですよ。もともとあったやつを。

徳光:
封印してたものを。何か意味合いあるんですか、あの字には。
稼ぐに、頭に、中央の央。

松井:
本当、あの字のままだと思うんですよね。
もちろん稼ぎ頭、グランドの真ん中に立ちなさいと。

まさにその後の人生は、中央で先頭に立って活躍されました松井さんでございますけど、俺も本当に気がついていれば。
その名前にすれば、みのもんたぐらい稼げたかなと。

9歳の時に「バックスクリーン3連発を目撃」伝説

徳光:
子どものころは、ちょうど当然のことながら関西にいらっしゃいますんで、大の阪神ファンでありました?

[ 1975年大阪・東大阪市出身 ]

松井:
ジャイアンツファンなんですよ。

松井:
親がジャイアンツファンだったので、僕たちの時代って、親にチャンネルの権利があったんですよね。(テレビが)野球しかついてなくてですね。絶対巨人戦しかついてないんですよ。

松井:
いつもジャイアンツ戦を見てて、僕も10歳の85年ですね。
甲子園で、掛布雅之さん・岡田彰布さん・バースの(バックスクリーン3連発の)試合、僕見に行ってたんですよ。

徳光:
グランドに?

松井:
甲子園に。

徳光:
あれ目撃してるんですか。それはジャイアンツファンとして行ったわけですか?

松井:
そうです。

徳光:
打ちのめされたわけですね。

小学校時代の松井稼頭央
小学校時代の松井稼頭央

松井:
でも、(センターの)クロマティが同じ動きを3回したんで、「プロってすごいな」って、あらためて思いましたよね。
親も野球をやってましたので、その影響もあったと思うんですよね。
なので、キャッチボールしたら、いつも江川(卓)さん、カーブもすごかったじゃないですか。
じゃあ、「江川さんのカーブ」とかって、よく僕投げられてましたけど。

徳光:
お父さんに?わが子に向かって。

松井:
そのくらいジャイアンツが好きだったので。

徳光:
将来野球選手にしようとかそういう話は…。

松井:
あまりなかったですけど、自分が「将来プロ野球選手になりたい」と。

徳光:
お父様が?

松井:
僕がですね。それだけずっと野球を見せられてきたので。

徳光:
リトルリーグなんか入ったでしょ?

松井:
僕はボーイズリーグに入るのが、チームが小学校3年生からしか入れなかったので、3年生になってから入りましたね。

徳光:
松井さんは、もっぱらピッチャーだったわけですか?

松井:
基本ピッチャーと、ダブルヘッダーの試合、2試合はやっぱり投げられなかったので、1試合投げたら2試合目はショート行ったり、ファースト行ったり。

徳光:
そういうことはされてた。
小学校の全国大会ってあるじゃないですか。ああいうのには出場されて…。

松井:
出場したことないんですよ。

徳光:
ないですか?

松井:
はい。いつもその同じ支部にですね、「八尾フレンド」という桑田さんがおられた地域で、同じ地区なので、そこには勝てなかったんですよね。

[ 八尾フレンド(現大阪八尾ボーイズ)
桑田真澄(巨人)、野々垣武志(西武)、上重聡(立教大)などを輩出した大阪中央支部の名門チーム ]

徳光:
中学時代にかなり野球に打ち込んで。さらに打ち込んで全国大会に行かれた?

松井:
出られなかったです。やっぱり八尾フレンドがいたので。

徳光:
そうなんだ。そんなに強かったんですか。

松井:
本当に強かったんです。

PL学園の寮生活「女子生徒を見てはいけない」伝説

徳光:
それがPLに結びつくんですか?

松井:
でもPLはですね、やっぱり桑田(真澄)さん・清原(和博)さんを見てましたので。試合も見に行きましたし。

[ PL学園野球部
桑田真澄・清原和博の「KKコンビ」などを擁し、1981年から87年で春夏通算6回遊勝という黄金期を築いた ]

徳光:
PL学園でね。当時のまたPLはかっこよかったし、野球が違いましたもんね。

松井:
そうですね。やっぱり「PL学園に行きたい」っていう思いはずっとあったんですよ。
まさか自分が全国大会にも出てないですし、PLからお話が来ると思ってなかったので。
でも、ボーイズリーグの会長とか監督に呼ばれまして、「PLから話が来てる」って。
これはと思ったんですよ。これはうれしかったですね。

徳光:
当時PLって、どういう選手、われわれが知ってる選手いましたか?

松井:
僕の2つ上に、阪神の坪井(智哉、1992年卒・阪神)さんがおられました。
で、僕の1つ上が今岡(誠、1993年卒・阪神)さんですね。

徳光:
福留孝介君(1996年卒・中日)は下ですか?

[ 福留孝介(48)1998年中日ドラフト1位
PL学園→日本生命を経てプロ入り。MVP1回、首位打者2回。2008年からメジャーでもプレー。日米通算2450安打 ]

松井:
孝介、僕の2つ下なんですよ。
孝介もやっぱり中学校から入ってくる時に、「おまえら、とんでもない1年生が入ってくるから覚悟してくれ」と言われて、「どんな1年生来るのかな」と思ったら、孝介だったんです。

徳光:
福留選手。

松井:
もう1年生からサード守ってました。

徳光:
そういう「並み居るメンバーを差し置いて」という言い方、正しいかどうか分かりませんけど、松井さんも1年生から試合に出られるんですよね。

松井:
そうなんですよね、1年生からメンバーに入れていただいて。

徳光:
試合に出てましたよね。5月にはもう試合に投げて、夏には背番号11番をもらってたと。すごいですね。
入ったのはいいけど、PLは清原さんもこちらに来ていただいた時に、とにかく1年生の時の寮生活が清原さんも「大変だった」とおっしゃってましたけれども。

松井:
そうですね。1年生は、もう嫌ですね。

徳光:
でも寮生活でしょ。そうすると、先輩たちの面倒を見なきゃならないわけですね。

松井:
練習上がっていったら、まずはコンロを取ったりとか。

徳光:
えっ!

松井:
コンロが4台あるんですよね、食事のコンロが。
先輩がお風呂入るときに、きょうの食事を見て、「ラーメンとチャーハン作っておいて」とかってあるじゃないですか。
そうしたらコンロ絶対必要じゃないですか。

徳光:
そういうことですか。

松井:
お風呂に入って、食事ができたら呼びに行くんですよ、お風呂に。

徳光:
料理するのも1年生ですか?ご飯作るの1年生が作るんですか?

松井:
1年生です。
インスタントラーメンとかも食べるんですけど、普通の袋のやつあるじゃないですか。
あれって、お鍋に入れて、そこで全部完成させるじゃないですか。
僕それ初めしたら、めっちゃ怒られたんですよ。「違う」って、なって。

徳光:
やり方の?

松井:
要は、麺はそれ。もう1回お湯沸かして、次はスープを作らないといけないんです。
だからそれ(麺の鍋とスープの鍋)を一緒に混ぜることができないんですよ。
別に作らないといけないんですよ。

徳光:
洗濯なんかどうでした?

松井:
洗濯は、僕ら洗濯板なんですよ、まず。いきなり洗濯機じゃないんですよ。
やっぱりPLって、よく甲子園の土を使わせてもらってるとかで、黒土なんで(洗濯機だけでは)取れないんですよ、回すだけじゃ。
だからもう、洗濯板でまず最初にやって。
でも洗濯機も取り合いなんですよ。

徳光:
洗濯機もそんなないんですか?

松井:
ないんですよ。

徳光:
先輩によっちゃあれですね、ヘッドスライディングしたりなんかすると…。

松井:
もうやった瞬間、「うわっ」と思いましたよね。「そこ飛び込むの」とかって。

徳光:
PLって男女共学ですよね。女子生徒と交流はないんですか?

松井:
もう交流したらもうダメです。見るのもダメです。

徳光:
見るのもダメ?

松井:
窓開けてこう見るじゃないですか。
なんでかバレてるんですよね。

[ PL学園は共学だったが野球部などの運動部は「男子クラス」だった ]

徳光:
へぇ。

松井:
もう説教ですよ。

徳光:
そうですか。野球部の先輩が見てたんですか?

松井:
「見たやろ」って言って。
1年生は女子生徒を見ちゃダメなんですよ。

徳光:
PLにお入りになったってことで、これはつまり思ってたのと違うし、ほかの学校行けばよかったなみたいなところがあった?

松井:
それはね、思わなかったです。
まずはこのPLで甲子園に出たいっていうのがありますよね。
1年生って、やっぱりそういう寮生活を送って、みんながいろいろありながらでも、みんながひとつになってってなるんで、このメンバーと甲子園に行きたいという思いがやっぱり強かったですね。

徳光:
甲子園は2年の春に出たのが一度だけって意外なんですよね。PLとしては。その時はベスト8で。

[ 松井稼頭央の甲子園出場は2年生の春1992年センバツのみ ]

松井:
東海大相模ですね。
僕ちょっとヒジ、その時けがしてまして。

徳光:
そうなんですか。

松井:
2回1/3ノックアウト。
球数50球で注射を打ちまして、それで甲子園のマウンドに立たせていただいたんですよね。

徳光:
甲子園ではいい思い出はないけど、甲子園に立ったってことは大変素晴らしかった。

松井:
はい、そうですね。
やっぱり一度でも甲子園に行きたいと思ってましたので、その中でマウンドに立たせてもらったってことは。僕の中では本当に。
もちろん悔しかったですけど。

徳光:
3年の夏は行けなかったんですよね。

松井:
決勝で負けたんです。

[ 1993年大阪府大会決勝 近大附属 6 - 3 PL学園 ]

徳光:
近大附属でしたかね。あの年はね。

松井:
ちょうど1個下金城(龍彦)君がいまして。

[ 金城龍彦(49)1998年横浜ドラフト5位
近大附属・住友金属では投手として活躍。プロ入り後に野手に転向。入団2年目の2000年に史上初の新人王と首位打者を同時獲得 ]

徳光:
大洋。彼そうか、ピッチャーだったんだ。

松井:
あの時も150km/h以上投げてましたね。

徳光:
そうですか。
この年、大阪はそのほかにも東海大仰星に建山義紀さんだったり、控えの投手で上原浩治さん。

松井:
上原がいつもよく言うんですけどね。
PLと練習試合したんですよ。その時、「稼頭央は投げてたけど、俺はベンチで応援してた」みたいな。スタンドで応援したって、いつも言いますよね。

プロが見抜いた潜在能力 西武が「野手として」指名伝説

徳光:
いよいよドラフト会議を迎えるわけでございますけれども、相当、松井さんは甲子園にあまり出てないにもかかわらず、かなり多くの球団から来たっていう。
巨人も行ったって言ってましたよね。確か。

松井:
はい、来ていただきましたね。

徳光:
ですよね。

松井:
当時だったんで、巨人も中日さんも、で、広島。当時のダイエー(現ソフトバンク)。
で、中日だけが「ピッチャーで」って言ってもらえたんですよ。
あとはもう「野手で行く」って言われました。

徳光:
そうですか。それだけやっぱり潜在能力がプロのスカウトから見るとあったんですね。

松井:
「どこを見てたのか?」と思ったんですよね。
わかんないじゃないですか。野手の練習もしてないので。

徳光:
してないわけでしょ、高校時代は。
西武から指名があるわけですよね。

松井:
知らなくて。西武から話が来てるっていうのが。
西武が僕の名前をいきなり呼んだんですよ。
「ライオンズ3位指名、PL学園・松井」
「えぇー」みたいな。
「えっ、西武から指名来たよ」って思いました。

松井:
あの黄金期、もうすごい選手ばかりじゃないですか。
「このチームに入るのか、試合に出られるかな」みたいな。
まずそこ浮かびました、僕。

徳光:
その西武の3位指名は、投手での指名じゃなかったわけですか?

松井:
一応、投手とか言ってるんですけども、やっぱり野手で行くって言われました。

徳光:
そうですか。PLの中村監督はプロに行くってことは分かってたでしょうから、どういうアドバイスされたんですか?

[ 中村順司(79)PL学園野球部監督(1980年~1998年)
甲子園で春・夏あわせて6回優勝・通算58勝、勝率.853。「KKコンビ」など教え子39人がプロへ。名球会入りも5人 ]

松井:
中村監督も、僕言われたのは、「ピッチャーじゃなかったら、野手の方がいい」。あとから聞いたんですけど、ピッチャーにもっといいピッチャーがいれば、僕は野手にしたかったらしいです、中村監督は。

徳光:
そうなんですか。完成されたショートとして入ってきたのかなと思ったんですが、まったくそうじゃないわけですね。

松井:
まったくです。
野手の練習をするのも(プロに入って)初めてなんで、走塁で帰塁の練習があるんですよ。
僕、(手から)帰塁したことがなくてですね。

徳光:
ピッチャーだから?

松井:
足から帰れるところにしか行った(リードした)ことがなかったので。

徳光:
そこからのスタートだったんですか。

松井:
そうなんです。本当に素人なんですよ。

徳光:
意外なことに、1年目、2軍のイースタンリーグで松井さん24失策という記録が残っていて、想像できないんですけど。

松井:
ほぼ半分以上が悪送球です。
捕ると“ピッチャー投げ”になっちゃうんですよね。“野手投げ”ができなくてですね。
やっぱり僕ピッチャーだったんで、(足を)クロスして投げるんですよ。
野手でクロスって、一番よくないじゃないですか。
ファーストの捕り手とセカンドゲッツーで、もうクロスすると出どころが見づらいので。
なんか引っかかってしまうケースがあったり。

松井:
映像とかテレビで見てると、ゲッツーでもジャンプしながら投げてるように見えるんですよ。僕の記憶の中では。
だから僕もジャンプして投げたら、暴投じゃないですか。
「えっ、ジャンプして投げるんじゃないんですか?」みたいな。
「ちゃうちゃうちゃう投げてからジャンプや」みたいな。
「えーっ、プロすげえ」みたいな。
そこからのスタートです。

徳光:
それがのちに日本を代表するショートストップになるとはね。

松井:
本当、そこからスタートでしたね。
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 2025年10月28日放送より)

「プロ野球レジェン堂」
BSフジ 毎週火曜日午後10時から放送
https://www.bsfuji.tv/legendo/

プロ野球レジェン堂の公開イベントが決定!
来る2026年1月20日火曜日、有楽町のイベントホール「アイマショウ」で開催されます。
ゲストは阪神優勝の85年戦士・真弓明信さんと「絶好調!」男こと元巨人の中畑清さんです。
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