支援者が抱える歯がゆさ こぼれ落ちる人たち
移民向け言語団体の授業は、現在のフランスの移民政策と社会の縮図とも言える。
パリ・サンマルタン運河近くにあるボランティア団体「Français Langue d’Accueil」は、「Accueil=受け入れる」というその名の通り、フランス語を入り口にして移民や亡命希望者を社会へつなぐ拠点だ。しかし、その目指すところは単なる言語指導の話だけではない。
団体トップは何を考え、どのような行動をとってきたのか、移民を「統合」するとは何か、そしてそれは彼らのアイデンティティの喪失を意味するのか。率直に質問した。
「フランス語は生き延びるための道具」
話をしてくれたのは、団体を取り仕切るであるセシル・トマ事務局長(54)。
団体が生まれたきっかけは、十数年前、アフガニスタンからの難民がサン・マルタン運河沿いに大量に流れ込んだ事だった。
テントや簡易シェルターが並ぶ中、近隣住民たちは「まず言葉だ」と考えた。行政による整った受け入れ態勢がない中で、フランス語ができなければ役所の窓口にも行けず、医者にもかかれず、仕事も見つからない。「ほとんど生存にかかわるレベルで、フランス語が急務だった」とセシルさんは振り返る。
そういった地元市民の動きから団体となり、いまでは年間約650人の移民や亡命申請者を受け入れている。出身国は約40カ国。スーダン、アフガニスタン、ソマリア、チベット、ウクライナなど、経済的安定だけではなく、紛争や迫害、政情不安を逃れてきた人たちが教室を埋める。
彼らの多くは外国語はおろか、母国語の読み書きも不十分な人が少なくない。役所のフォームをオンラインで埋めることなど到底できず、「まずは自分の名前を書き、地下鉄の路線図を読み、役所から届いた手紙の意味をつかめるようにする」ところから授業が始まるという。
インタビュー中セシルさんが繰り返したのは、「フランス語習得は自立への道」という言葉だった。

役所での滞在許可申請、住居申請、社会保障の手続き、学校とのやり取り、職探し――こうしたすべては言葉が入口となる。そういった点からも、団体が提供するのは「語学」以上のものであり、「フランス語を通じた生活技術」と「社会の一般常識」を学ぶ場でもあると強調する。
また、教室では、難民たちの出身や宗教、ジェンダーは関係なくあえて“混ぜる”。
先述した通り、スーダン人と南スーダン人、ムスリムとキリスト教徒、男女が一つの机を囲み、フランス語で自己紹介をし、授業が運営されていた。
このような場を支えているのは、150人を超えるボランティア。元教員、引退した会社員、学生などが、授業やイベント運営に関わる。 セシルさんは「移民政策が厳しくなればなるほど、市民の側の連帯が強くなる」と語る。
政府や行政が難民に冷たくなるたびに、これに反発するように「何かせずにはいられない」という人々が団体の支援に回ってくれるという。そういった意味でも、ここでの授業は世界が保守的な考えの中「排除」の舵を取る一方で、あえて逆行するような形となっている。
そして、全てがうまくいってきたわけではない。
不安定な生活、劣悪な住環境、限られた収入、精神的なトラウマ…こうした要因で、登録しても数週間で来なくなる人も少なくないという。
協会の試算では、年間の受講希望者のうち、およそ15%が途中で姿を消す。
彼らの一部は仕事を見つけて別の生活に移るが、多くは極度の疲弊やホームレス状態、うつ状態に追い込まれ、教室に通う余力を失っていく。
そうした人たちを前に、団体ができることには限界があるとも話す。
深刻なメンタルの問題を抱える人には病院や専門機関を紹介するしかないし、法的なトラブルを抱える人には弁護士を案内するしかない。「私たちにあるのは机と紙とペンだけ。だからこそ、できることとできないことの線引きをしなくてはならない」とセシルさんは語った。
移民の支援に奔走するセシルさん。一方で、支援の最前線にいる彼女が危惧する状況が今目の前に差し迫っていた。
