野球を始めたきっかけは同郷の“神様”川上哲治伝説
徳光:
末次さんが巨人に入るきっかけは、川上哲治監督がきっかけだったと。

[川上哲治(1920~2013)1938年、熊本工から巨人入団
戦前から戦後にかけて巨人の4番を務めた「打撃の神様」。監督として「V9」を達成。末次と同郷の熊本・人吉市出身]
末次:
生まれ故郷の熊本・人吉の神様ですよ。物心ついた時から、川上哲治っていう神様がいましたから。
また僕の家が、前がグランドで、市役所が横にあって、昼休みになるとおじさんたちがドーっと降りてくるんですよね、野球やるために。

末次:
その時、僕にいろいろ教えてくれたのは、川上さんの下の弟さん。
それをきっかけに、僕は中学からずっと野球をやってこられた。
徳光:
ということは、もうその時は川上さんは巨人軍の選手だった?
末次:
もちろん、もちろん。

徳光:
そのあと、鎮西高校で活躍するようになって、川上さんもつまり、ふるさとの後輩として知るようになるわけですかね。
末次:
いやー、そのころどうですかね。
徳光:
甲子園お出になられたでしょ?
末次:
2年の時(夏の甲子園)に出ましたけどね。
徳光:
甲子園の思い出はどうですか?
末次:
甲子園ですか、まったく面白くなかったです。2年生でしょ、僕1人だけ2年なんですよ。全部3年で。もう練習行って荷物運んで全部やるわけですよ。
徳光:
2年生1人が。

[第41回全国高校野球選手権大会(1959年)
鎮西は1回戦で川越(埼玉)と対戦し、1-3で敗退した]
末次:
つまんないことでね、3年生たちがね、へそ曲げたんですよ。
何かって言ったら、「ユニフォームがブカブカで合わない」と。
それでへそ曲げてね。練習もどうのこうの言い始めて。
やっとやる気が起きた時が、もうゲームの5回ぐらいですよ。5回ぐらいになってから。
そのぐらい、何しに甲子園に行ったのかっていう。
徳光:
そうですか。
東都リーグで首位打者2回・通算10本塁打で「長嶋超え」伝説
徳光:
中央大学とのきっかけは何だったんですか?ご縁は?
末次:
それはたまたま知り合いがいて、別に引っ張られていったわけじゃないんですけどね。一応、僕も試験を受けて行きましたから。
徳光:
中央大学での成績は見事でしたよね。
末次:
そうですね。これはライバルが、ご存じのように武上(四郎)という、のちにヤクルトの監督をやりましたけどね。このライバルがいたんで、僕は非常に成長できたと思うんですね。

[末次利光 大学時代の通算成績
76試合 287打数87安打 打率.303 本塁打10 打点39 首位打者2回・ベストナイン4回]
徳光:
東都での成績、チームは3年の秋と4年の秋に2回優勝されて。末次さんも首位打者2回、ベストナイン4回。
素晴らしい成績を残して、さあいざプロへということですよね。
ただね、中央大学時代にホームラン10本打ってらっしゃる。
末次:
そうなんです。
徳光:
ホームランバッターだったんですね。
末次:
長嶋さんが8本だったんです。六大学でそれを抜いて10本で。

[末次の東都リーグ通算10本塁打は長嶋茂雄の8本(六大学)を抜く大学野球新記録]
徳光:
長嶋さんの8本抜いたのは、末次さんなんですか。
末次:
そうなんです。
徳光:
神宮球場で。
中央大学時代に、川上さんとは設定はあったんですか?
末次:
最後のころにですね、グラウンドに来られたんですよ。
川上哲治さんと牧野茂さん、武宮敏明さん、藤田元司さん。
徳光:
そうそうたる。

末次:
このメンバーがグラウンドに来て、練習見に来られたんですよ。
で、その夜にもうあれですよ、食事しながら、もうその場で(入団の)サインしましたからね。
徳光:
本人が?
ご両親とかそういうんじゃなくて。
末次:
どっかの食堂か何かなんですよ。
徳光:
これにサインしろって。
