デフリンピック日本代表の、石川県金沢市出身、高桑昭紀選手、84歳。オリンピック、パラリンピックも含めた史上最高齢の日本代表選手である。今月15日に東京で開幕する「デフリンピック」に、県内からは唯一、ライフル競技で出場する。
石川県から唯一のデフリンピック日本代表

デフリンピックとは聴覚障害者が出場する世界大会で、日本では今回が初開催となる。世界70から80の国と地域から約3000人のアスリートが集まり、21の競技で世界一を争う。

高桑選手が出場するのはライフル競技の男子50メートル伏射。伏射とは伏せて構える射撃姿勢で、見た目はまさにスナイパーである。50メートル先にある的に向かって50分間で60発を撃ち、その合計得点を争う。狙うのは直径たった10.4ミリの10点圏。ど真ん中を打ち抜くと最高点10.9となる。

高桑選手は、週に3日から4日ほど医王山にある射撃場で練習を続けている。現在、右耳の聴力はほぼなく、左耳に補聴器をつけて競技を続けている。

20代後半からはじめたライフル射撃。キャリアは50年を超える。高桑選手は、「ここまできたらライフル射撃取られたらぼけてしまうわ」と笑いながら話す。

現役時代はテレビ局のカメラマンとして活躍
1940年12月、金沢で生まれた高桑選手。陸上の中距離選手として活躍していた。中学卒業後に自衛隊に入り、その後、北陸中日新聞を経て開局したばかりの石川テレビに入社する。テレビ局で印象に残った取材を聞いてみると「やっぱりジェット機(の墜落事故)と北陸トンネルやわ」と答えた高桑選手。

石川テレビではカメラマンとして活躍。1969年、金沢市にジェット機が墜落したときもカメラマンとして現場に駆けつけた。当時の様子について、かつて取材に高桑選手は「南の方から水平に着陸するような感じで降りてきたんじゃないか」と答えていた。

社会人になっても陸上競技を続けていたが、そんな時、射撃と出会う。
「野々市にボーリング場があってそこに空気銃の試し打ちができる所があった。たまたまそこに行ってやったと言うのが初めてで、記録会というのがそこであってトロフィーもらいました」

射撃の魅力にはまった高桑選手。仕事をしながら競技を続け、国体にも4度出場、5位に入った事もある。退職後、マスターズの世界大会にも4度出場、金メダルも獲得した。デフリンピックには、去年夏の強化合宿に参加し、そこで実力が認められ日本代表に選ばれた。

「デフリンピックは年齢関係無いからね、若い者も出てくるし、ただ耳に障害があるって言うだけで、世界から集まってくるのはそれなりのレベルやと思うので何とか入賞したらいいなあと」
東京五輪代表の平田選手も驚く年齢
この日の練習。高桑選手と並んで的を狙っていたのは東京オリンピック日本代表の平田しおり選手だ。高校時代、この射撃場で腕を磨いてきた。高桑選手について尋ねてみると、「高校ではじめてここに練習に来ていましたが、高確率でいる方。ひたすらその射撃を追い求めているというか…」

平田選手、高桑選手の年齢を知らなかったようで…今、84歳だという事を伝えると、「えーー、すごいですよね、びっくり想像できないです。自分がその年齢でやっている、やっていないとは思うのでそう考えたらすごいことだと思いますし是非、デフリンピック頑張ってほしいなと思います」と驚いていた。

横でインタビューを聞いていた高桑選手は「歳行っても頑張ってください」と平田選手を激励する姿も…。

この日、知事室を訪れた高桑選手。知事に、「84歳ですが50年以上にわたってライフル射撃を行って参りました。それを糧に優勝目指して頑張ります」と決意を語った。

長年競技を続けてきた高桑選手にとってデフリンピック出場は、「競技のすそ野を広げたい」。そんな思いがあった。
「歳行ってもできると言う競技を皆さんに知ってもらえればいいかなと思います。」

いざ本番へ…デフリンピック開幕は11月15日
デフリンピックまで1カ月。この日、高桑選手は北陸地区の大会に参加していた。年齢や性別、障害など関係ない一般の大会である。10点台を連発し、調子が良いのかと思ったが…

「終了…ひどい、ひどい今季最悪、緊張してドキドキはしていないんだけど、ここって言うときに引き金が引けないのはやっぱり緊張しているんやね」

実は1カ月ほど前に左肩を痛めたという高桑選手、本調子とは行かなかったようである。

「デフリンピックの合宿が東京であるんだけど、それまでになんとかなるんじゃないかと思っております、はい。いや、おもっておりますじゃなくて何とかしたいと。」

デフリンピックが始まって100周年という記念の大会となる東京デフリンピック。高桑選手は11月15日の開会式に臨み、本番は19日だ。

(石川テレビ)
