2005年11月に大野市と合併した旧・和泉村。合併20年を記念し9月に開かれた催しには、大勢の住民が集い大懇親会となりました。この20年間で人口は半減しましたが、住民の絆はさらに強まっています。
全国で「平成の大合併」が進む中、和泉村も2005年11月に大野市に編入合併し、50年の歴史に幕を下ろしました。
それから20年が経ち、9月28日には住民160人が一堂に会しました。合併当時から人口が半減した今こそ、住民が心を一つにしようと交流を図りました。
区長は「和泉地区全体が一致団結して、これからの和泉地区を考えていこうという場にしたい」と話していました。
和泉村は1956(昭和31年)9月に上穴馬村、下穴馬村が合併して誕生。当時の人口は5102人でした。一時、5800人を超えましたが、産業が衰退し、合併の際の人口は729人に。
さらにこの20年で385人にまで減少しました。
合併20周年のイベントでは、旧和泉村出身のタレント・清水国明さんが「これからもいい形で発展していい形でニコニコする人がどんどん増えたらいいなと思っている」とコメントを寄せました。
式典の後に開かれた大懇親会では、地域に残る写真を見ながら昔話に花を咲かせていました。
昭和の和泉村の映像には、越美北線で大勢の人が詰めかけた紅葉まつり、今は閉鎖されてしまった人気のスポット「白馬洞」、和泉の発展を支え観光スポットにもなった「中竜鉱山」、和泉村恒例「真夏の成人式」が残されています。
38豪雪、56豪雪と、時に村を孤立させるまでに降り積もった雪。住民たちは支え合いながら乗り越えてきました。
住民は―
「昭和36年に嫁に来て、37年に子供を産んだ。豪雪の時は屋根裏を歩かないと外に出られなかった」
「(雪の多い時はどうやって学校に行っていた?)歩いて。中学校はこの山を越えて寮に入った。(寮生活は)楽しかった」
「56豪雪はヘリコプターが飛んだし、物資がもらえて取りに行ってた。よかったよー。うれしかったもん。あの時はまだ若かったから先になってもらいに行った」
住民たちに和泉地区のいいところを聞くと―
「自然いっぱいが楽しい」
「暮らし始めるとここの良さが分かる。自然が豊かでものすごく人もあたたかい」
「付き合いが昔も今も続いている。田舎は田舎のいいところがいっぱいある」
「若い人たちが移住してきて、お店を開いてくれたらうれしい」
実行委員長は「集まって楽しんだ皆さんがいつまでも本当にニコニコしながらここに生き続けられる地域を作れるためにみんなが頑張っていきたい」と話していました。
これからも笑顔で暮らし続けられる和泉へ。住民たちは、未来を見つめ心を一つにしていました。