長崎くんちで「相撲」を奉納する西古川町は、ウクライナから避難してきた高校生が伝統の“弓取り式”に初挑戦する。350年続く伝統を受け継ぐ町の人々の熱意と、異国で相撲を続ける青年の感謝の思いが交差する。
ウクライナ避難高校生、長崎くんちの舞台へ
全ての踊町の中でも唯一、350年にわたり相撲にまつわる奉納を行う西古川町。

相撲開催を知らせる“櫓太鼓”が打ち鳴らされ、口上に続いて2人の力士が登場する。取り組みの終わりに勝った力士の喜びを表す“弓取式”は、戦禍のウクライナから避難してきた高校生、エゴール・チュグンさんが務める。初めて諏訪の大舞台に挑む。

所属する長崎鶴洋高校相撲部の監督、髙橋修さんと共に出演するエゴールさんは「本当にうれしい。先生とずっと一緒にいるのは本当に楽しい」と話す。
350年の歴史 相撲と共に
西古川町がくんちで初めて奉納したのは江戸時代前期、1674年だ。

相撲踊に始まり、櫓太鼓、弓取式、そして相撲甚句。約350年にわたりつないできた踊町としての歴史は相撲とともにあった。

長崎市中心部を流れる中島川沿いにある西古川町。江戸時代、船の荷揚げ場として栄え、特に船の修繕部品を扱う金物屋が多かったといわれている。

明治28年創業の岩永金物店には、長崎で行われる相撲の本場所を西古川町の住民が取り仕切ることを認めた“證状(しょうじょう)”が残されている。
当時、本場所が開かれたのは、九州では長崎だけだった。住民は力士に宿泊所を提供するなど興行に協力する代わりに「木戸御免」、つまり入場料なしで出入りすることができた。

自治会長の岩永和之さんは「天保12年に肥後藩の吉田司家が相撲を全て取り仕切っていた。そこから長崎に住む稲ヶ﨑文次郎が頭取の免許をもらった」と話す。

江戸時代の力士の手形や明治21年の番付からも、町と相撲との強いつながりが分かる。
感謝の思いを込めて
弓取り方を務めるエゴールさんは、現役の相撲部員だ。

5歳で相撲を始め、188cm、170kgの堂々たる体格。ウクライナのナショナルチームで国際大会に出場した経験もある実力者だ。2023年に長崎鶴洋高校に避難留学生として入学し、相撲部に入った。

仲間を思いやる情の深さと相撲への熱い思いが、町の人々の目に止まった。

慣れない弓取りの所作は、前回の出演者である久保田雅洋さんの指導を仰ぎながら、部活動の後に時間を惜しんで稽古している。
諏訪神社の踊り場には、土俵のように仕切り線がない。どこに立つかは石畳のつなぎ目が目印だ。

くんち本番で奉納する場所での練習を終え、エゴールさんは「普段の練習場所とは雰囲気が違う。手元が狂ったり精度が落ちるので、そこは詰めていかないといけない」と話す。
エゴールさんは角界入りを目指していて、高校卒業後は長崎を離れる予定だ。「長崎にいつ戻るか分からない。くんちで長崎に感謝を伝えたい」と、異国で相撲を続けられた感謝の思いを込めて本番に臨む。
伝統を受け継ぐ子供たち
西古川町が奉納するもう一つの出し物が本踊だ。

長唄『諏訪舞清流晒女(すわにまうきよきながれのさらしめ)』は、さらしで中島川の流れを表現している。出演するのは3歳から17歳までの9人の子供たちだ。子供を中心にした奉納踊は、西古川町が大切にしてきた伝統だ。

明治41年も大正5年も本踊は子供たちだけ。昭和5年の時の練習風景も全員子どもたちだ。今回も子供だけの踊りができないかと師匠に相談して実現したのだった。

踊子の一人、長崎東高校1年の梶原夢花さんは2回目の出演だ。1歳で日本舞踊を始めた夢花さん。10年前の6歳の時に西古川町の本踊に初めて出演した。今回は4歳の妹、華穂ちゃんも一緒に踊り場に立つ。

二人は毎週、三味線と踊りの稽古に通っている。

華穂ちゃんはおもちゃのギターで姉の夢花さんの真似をする。さらしを使った舞も姉の姿を見て、すっかり踊れるようになった。町の伝統を姉から妹へつなぐ。

夢花さんと華穂ちゃんは「2人全力で踊りたい」「頑張ります!」と意気込みを語る。次の子供たちへとつないできた町の伝統。小さな町が大きな相撲取りとともに町の歴史を刻み続けている。
(テレビ長崎)