長崎くんち、榎津町の川船。町の誇りは「かたくなに伝統を守り続けている」ことだ。町が大切にしている伝統を守るため、父から子へ、伝えたい思いと引き継ぎたい技があった。
伝統を守って変わらない榎津町
榎津町の川船は、船頭が取った鯉を諏訪神社に献上するため、船で急流を下る様子を表現した出し物だ。

「網打ち(あみうち)」と「船回し」の2つの場面で構成され、総ヒノキの白木の船を16人の根曳が軽快に回す。川船の奉納は1800年代中盤に始まったとされている。

特徴は速い船回し。長さ6.5m、重さ3tの船を前後に曳いた後、止めることなく一気に回していく。伝統の右回しをかたくなに守っていることが町の誇りだ。

榎津町自治会長の城谷富好さんは「変わらないことが町の伝統。みんな仲が良く、熱い人が多いので魂を込めて頑張る、真面目な町」と町の良さを語る。
秋の情景を描く 最古の川船
榎津町は長崎の中心商店街の一角にあり、商店やマンションが立ち並ぶ町。

中島川に接していることから「川船」を奉納してきた。

町名は、福岡県大川市榎津から多くの人が移り住んだことに由来するとされる。現在は町名変更にで万屋町の一部となったが、くんちには現在も「榎津町」として奉納している。

戦後間もない1951年に町の川船が作られ、屋根飾りには紅葉と白菊で秋の情景が表現された。

長崎くんちでは7つの川船が現存するが、榎津町の川船はその中で最も古いとされる。
親子2代の網打ち船頭
川船が姿を見せると、最初の見せ場「網打ち」が始まる。

網打船頭(あみうちせんどう)を務めるのは、桜町小学校3年の古賀優多くん(9)だ。

川に見立てた石畳を泳ぐ鯉に向かって、「一網打尽」を狙い投網(とあみ)を投げる。稽古では「網が全部開かなかった」と自己評価は厳しいが、「今日が40点とか30点だったりしたら、明日は50点60点70点にしたい」と意欲を見せる。

稽古には優多くんの家族4人が勢ぞろい。母の愛さんは船のすぐそばで見守り、姉の優彩さんは大太鼓を担当する囃子方で船に乗っている。父の友一朗さんは船を曳く根曳(ねびき)だ。

友一朗さんは31年前には網打船頭を務めた。いわば優多くんの「先輩」だ。友一朗さんは先輩の立場からも優多くんを見守り「網打ちがしっかり決まれば、根曳も気持ちが乗ってくる」と語る。
家族みんなで一致団結
全体の稽古の前、優多くんは個人練習に励んでいる。

3kgの投網をきれいに広げられるよう、父から「鉛が前に来るまで待って、しっかり膝の力を使って」とコツを教わる。

「膝を使うことと、カーテンを引くようにやることを意識している」と、優多くんは真剣な表情で語る。「完璧に開く網打ちをしたい」という思いが伝わってくる。

自宅に戻ると、稽古中に撮影した網打ちの映像を見ながら家族4人で反省会が始まる。

「いつでも投げられるような状態にして、その中でも丁寧に手繰っていかないと」と、細かな点まで確認する。

優多くんはバスケットボールが大好きだが、稽古に集中するためスクールを休んでいる。姉の優彩さんは「大太鼓のリズムをちゃんと網打ち船頭に届けたい」と意欲を燃やす。くんち成功に向けて家族みんなで一致団結だ。
町の絆と次世代へつなぐ歴史
2025年は16人の根曳の内、約半分にあたる7人が初めての出演だ。

伝統を守り、伝えながら、技の完成度も高まってきた。

根曳4回目で町内最多経験者の浦川礼司さんは「子たちに根曳で出てみたいと思われるように、全員が楽しい姿を見せていきたい」と、くんちへの思いを語った。

優多くんは、父・友一朗さんが31年前に着た衣装と同じ生地で仕立てた衣装をまとい、同じ姿で大舞台に臨む。

友一朗さんは「大役なので責任重大。自分もしてきたことだけが、しっかりと役目を果たせるようにさせたい」と語る。

優多くんは「本番は120点を出せるように、稽古を頑張って本番までに仕上げたい。一人残らず凄いなと思わせる網打ちをしたい」と意気込みを見せる。

先輩から新人に、大人から子どもに伝える「技と心」。その繰り返しが町の歴史となってきた。

伝統を重んじる古き良き榎津町の川船。町の誇りと家族の絆が奉納を支え、次の世代へ歴史をつないでいく。
2025年 長崎くんちの踊町
2025年の長崎くんちは、6つの踊町が奉納する。

新橋町「本踊・阿蘭陀万歳」
諏訪町「龍踊」
新大工町「詩舞・曳壇尻」
榎津町「川船」
西古川町「櫓太鼓・本踊」
賑町「大漁万祝恵美須船」
長崎くんちは10月7日から9日の3日間、諏訪神社で行われる。
(テレビ長崎)