「武士道」などの著書があり、旧5000円札の肖像にもなった岩手県盛岡市出身の新渡戸稲造の生前の動く映像が2025年に入り発見された。後藤新平の葬儀を記録した映像の中に新渡戸の姿があることを研究者らが確認した。故人となって90年以上経った今、当時の新渡戸の表情や動きが映像として蘇り、歴史の一瞬が記録されていることに関係者は感慨深い思いを抱いている。

記念館に眠っていた貴重な映像

岩手県奥州市の後藤新平記念館に生前の新渡戸稲造の映像の一つが所蔵されていた。それが「後藤伯の霊棺帰還」という映像だ。1929年に東京都で撮影されたこのフィルムには、後藤新平の葬儀の様子が記録されていた。

新渡戸稲造の生前の映像が所蔵されていた後藤新平記念館(岩手県奥州市)
新渡戸稲造の生前の映像が所蔵されていた後藤新平記念館(岩手県奥州市)
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「こちらがフィルムの原板です」と語るのは、同記念館の学芸調査員・中村淑子さんだ。
「後藤新平が昭和4年4月に亡くなって、ひつぎが後藤邸に戻ってきた時の映像」と中村さんは説明する。

「後藤伯の霊棺帰還」フィルムの原板
「後藤伯の霊棺帰還」フィルムの原板

この映像の中に、車から降りて歩く男性の姿がある。後藤の友人だった新渡戸稲造だ。わずか数秒だが、確かに新渡戸の動く姿が捉えられていた。

40年以上研究「予想通り見つかった」

盛岡市で新渡戸の研究を40年以上続けてきた新渡戸基金理事長の藤井茂さんは、2025年3月に後藤新平記念館の中村さんから映像を見せられ、それが間違いなく新渡戸であることを確認した。

「(写真で)200枚~300枚くらい新渡戸の顔を見ている。普段見ている新渡戸と、まず変わらない。(映像は)本当に短いけれども、確実に新渡戸」と藤井さんは語る。

新渡戸基金 理事長の藤井茂さん
新渡戸基金 理事長の藤井茂さん

実は藤井さんは、後藤新平の葬儀の映像が残っていれば、新渡戸の姿が写っているはずと考えていたという。

藤井さんは「後藤新平と親友であれば葬儀に行く。だから葬儀の映像に写っているのではと予想していた。予想通りだったが見つかるとびっくりした」と語った。

東京駅でハンカチを持ち緊張した表情

藤井さんは同じタイミングで、もう一点の映像も確認した。東京都の国立映画アーカイブが2024年3月にインターネットで公開した「後藤伯爵葬儀」という映像だ。

これは後藤新平記念館の映像と同じ日に東京駅のホームで撮影されたもので、後藤の棺を迎える人の中に、緊張した表情を浮かべる新渡戸の姿があった。

この映像の存在を認識していた後藤新平記念館の中村さんが、藤井さんに確認してもらおうと見せたのだという。

後藤新平記念館の学芸調査員・中村淑子さん
後藤新平記念館の学芸調査員・中村淑子さん

「東京駅でハンカチをこうしながら待っているんですね、今か今かと。文字と写真ばかりで我々評価してきたが、人間・新渡戸稲造がここに出ているなと」と藤井さんは感慨深げに語る。

「声が聞ければさらに深みが」と期待

新渡戸と後藤は同じ岩手県出身で、深い友情で結ばれていた。新渡戸は1901年、台湾で民生局長を務めていた後藤から呼び寄せられ、サトウキビ栽培の振興に尽力し、台湾の産業発展に貢献した。その後、2人は日本に戻ってからも家族ぐるみの親交を続けていた。

新渡戸稲造の生前の映像が所蔵されていた後藤新平記念館(岩手県奥州市)
新渡戸稲造の生前の映像が所蔵されていた後藤新平記念館(岩手県奥州市)

藤井さんは「声が分かるとその人の全体像がもう一つ深みが出る。音声が残っていれば良いなと。可能性はいつも探っている」と語り、今後も新たな資料の発掘に期待を寄せている。

郷土の偉人2人の没後90年以上経った今、動く映像という形で新渡戸の姿が確認されたことに後藤新平記念館の中村さんも特別な思いを抱いていた。

新渡戸稲造生誕の地・盛岡市下ノ橋町にある像
新渡戸稲造生誕の地・盛岡市下ノ橋町にある像

中村さんは「後藤の葬儀の時に、何台ものカメラが入ってその場を残そうとしていたことに驚いた。改めて広く後藤新平・新渡戸稲造の姿が注目を受けたことは、とてもうれしい」と話した。

岩手めんこいテレビ
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