続くフリーでは会心の演技でのちの北京五輪金メダル、ネイサン・チェン、五輪2大会連続メダル宇野昌磨さんに次ぐフリー3位でスモールメダルを獲得した。
スケート人生の分岐点になったショート
友野はこの大会が自分のスケート人生の分岐点と振り返る。

「(この)ショートは“人生変えるためのプログラム”やった。あの世界選手権のショートでできなければ、今後自分は戦う価値ないな、というか、無理やろなというのはありました」
「日本代表としての道を切り開くのと、ミスをしてそのまま“世界選手権しゃーないよな”で終わって、そのまま大学4年間を普通に過ごして終わるか、みたいなところが自分の中であって、あの時の演技は過去の自分にすごく勇気をもらえるような演技でしたね」

「『俺、スケート続けなあかんねんな』って。自分はその星で生きていいんや、みたいなところをすごく感じた。そこからはシニア1年目の世界選手権が終わって、やっぱりシニアでも世界で戦える選手になりたいなと思えました」
その4年後の北京五輪をかけた代表レースとなった2021-2022シーズンでは、GPシリーズで初の表彰台に上ると、全日本選手権では5位。そして、このシーズンの世界選手権も代打出場した友野は、ショートで当時日本勢4人目となる100点超えをマークした。

「北京五輪シーズンの世界選手権で“自分行ける、世界で戦えるな”というのが見えて。ショート3位で、フリーはメダルの重圧といった部分でまだまだ難しいなと思いましたが、自分もメダルのチャンス、取れる可能性のある選手なんだというのがすごく見えました」
濃い4年間と本気で狙う今シーズン
だからこそ友野は、今回の五輪シーズンに熱い思いを持っている。