京都と沖縄、どちらにも民家の屋根の上に魔除けの象徴となるものが存在する。

京都には「鍾馗さん」、そして沖縄には「シーサー」。この2つの都市が恐れた「魔」とは何だったのか。

現在、京都と沖縄で二拠点生活をする作家・沖縄大学客員教授の仲村清司さんの著書『日本一ややこしい京都人と沖縄人の腹の内』(光文社)から一部抜粋・再編集して紹介する。

鴨川の氾濫は人々の命を奪った

ではなぜ、厄除けのなかでも「疫病除け」なのか。平安時代後期、白河法皇が「賀茂河の水、双六(すごろく)の賽(さい)、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いた逸話はよく知られている。

いわゆる「天下三不如意(ふにょい)」で、誰もが服従する権力者であってもいうことをきかぬものという意味である。その筆頭に「賀茂川の水」をあげているところに知られざる京都の歴史がある。

いまやデートスポットの場所でもある鴨川だが(画像:イメージ)
いまやデートスポットの場所でもある鴨川だが(画像:イメージ)
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鴨川なくして京都の風景と風情は語れぬように、あの穏やかな流れは京都のシンボルといっていい。いまや市民の憩いの場所であり、若者たちのデートスポットでもあるが、かつては毎年のように洪水を繰り返した「暴れ川」だった。要するに白河法皇でさえ鴨川は思い通りにはならなかったのだ。

鴨川は氾濫のたびに数え切れない人々の命と生活の場を奪った。それゆえ、歴代の為政者はこの暴れ川の治水に腐心した。

しかも、川の氾濫や洪水は高温多雨の梅雨や台風の季節に発生する。当時は命を落とした人たちの遺体や牛馬の死体がそのまま放置され、そのために洛中はたちまち疫病の発生源となった。