それだけではない。人が集まる都では初夏になると食中毒が頻発し、冬はインフルエンザが流行する。コロナ禍のときの「三密」と同じケースだ。
疫病が猖獗をきわめる都市
つまり、日本の都として栄華を誇った京都は、疫病が猖獗(しょうけつ)をきわめる都市でもあったのだ。医学のない当時、疫病をもたらすのは神の祟りや怨霊の仕業とされた。
そのため、神や怨霊を鎮めるための儀式や祭りが頻繁に開催された。さて、京都の夏を彩るあの祇園祭は疫病退散が目的だったといったらあんたどうする?
しつこいようだが、京都は疫病や洪水が頻発し、その影響で原因不明の「病」が蔓延する都市であった。
そこで、スサノヲノミコト(牛頭天王)の力を借りて、疫病をもたらす神を鎮めるための儀式を催した。これが祇園祭の発祥である。
ついでながら、毎年6月30日に京都の神社では「夏越(なごし)の祓(はらえ)」という行事が催される。大きな茅(ち)の輪を作り、そこをくぐって厄払いをする風習だが、これは半年の間に身に溜まった穢(けが)れを払い落とし、残り半年の息災を祈願する催しである。
茅の輪は疫病除けの呪力(じゅりょく)を秘めていると考えられ、貴船(きふね)神社では茅の輪が販売された。茅の輪は玄関に掛けておくのがならいで、これも町中でよく見かける光景だ。