というのも玄宗が唐の皇帝として在位したのは西暦712〜756年。奈良に朝廷が置かれたのは西暦710〜794年で、玄宗が生きた時代とぴたりと一致する。このことについて国民的歴史作家、司馬遼太郎はさすが見逃していない。
東大寺は遣唐使帰りのいわば溜まり場だった。たとえ仏教にかかわりがなくとも、先進国で流行している魔よけだということで、この道教的なものも持ち帰ったのであろう。
(司馬遼太郎著・『街道をゆく24 奈良散歩』朝日文庫)
その鍾馗が794年の平安京遷都によって奈良から京都に広がり、しだいに定着していったとすればツジツマが合う。
都が置かれた京都はその後1200年も続き、鍾馗さんはやがて「京都のもうひとつの顔」となって魔物の監視・退治の任務を得たということになる。
魔除け都市・沖縄
シーサーにいたってはそれほど説明はいらないだろう。いまやシーサーは屋根だけでなく、門柱、庭、玄関、さらにはお土産の置物やキーホルダー、シーサーの顔をしたスイーツ業界にまで越境している。

発祥は古代オリエントのライオンがルーツとされ、一説にエジプトのスフィンクスとする説もある。いずれにせよ、歴史は古く、獅子=ライオンが魔除けになっている地域はヨーロッパから中東、東アジアまでユーラシア大陸全域にわたっている。
中国にはシルクロードを経て伝来し、15世紀以降に琉球へ伝わり、本土に伝来したものは狛犬=高麗犬とも書くことから、朝鮮半島を経由して入ったと考えられている。
ともかくも本土の神社にある狛犬とシーサーは親戚同士で、琉球には鍾馗さんは伝来したのかどうか、普及はしなかった。もうひとつ、沖縄には石敢當(いしがんとう)がある。丁字路や三叉路のつきあたりの地面近くに置かれた中国由来の魔除けである。