座から上納金を得ていたからである。
これに対し、信長は「楽座」を謳(うた)い、座の特権を否定した。座の構成員でなくても、自由に営業することができるのである。新興商人はもちろん、自分の生産物を売りたい農民にとっても「楽市」は魅力的な政策であった。
ただし、信長は座一般を廃止したわけではない。信長は、岐阜の加納(かのう)市場や、安土の城下町など、特定の市場に限って「楽座」を実施した。岐阜城、安土城と自身の本拠地に商工業者を誘致しようとしたのである。
特に安土の楽市令では、身分を問わず誰でも移住者を歓迎し保護することを強調している。これは、安土が既存の集落を大幅に拡張して造られたニュータウンであり、積極的に他国から人を呼び込む必要があったからである。
座組織の存続も認めていた
一方、信長は畿内(現在の京都府南部・奈良県全域・大阪府の大部分など)も支配していたが、大消費地である京都や奈良などにひしめく座組織の存続は認めている。
たとえば座組織の中でも最大規模の座として、大山崎(おおやまざき)の油座があったが、引き続き活動を認可されている。
こうした信長の姿勢は、世間に流布する革命児イメージに反するもので、彼が現実主義も持ち合わせていたことがよく分かる。そもそも座が独占権を持っていたのは、将軍・公家・寺社などに献金し、その権威を後ろ盾にしていたからである。
信長が京都・奈良の座を廃止すれば、この地域の旧勢力をすべて敵に回すことになる。天下統一の途上にある信長にしてみれば、無用な摩擦は避けたかったに違いない。
信長の長所は、既得権益を根こそぎ否定する突破力というより、むしろ性急な大改革を避け、旧勢力と協調するバランス感覚であり、それこそが成功の源であった。

呉座勇一
国際日本文化研究センター准教授。著書に『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)、『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)、『陰謀の日本中世史』(角川新書)、『日本中世への招待』(朝日新聞出版)、『頼朝と義時』(講談社現代新書)、『戦国武将、虚像と実像』(角川新書)、『動乱の日本戦国史』(朝日新書)、『日本史 敗者の条件』(PHP新書)、など多数。