天下統一を目指す過程でさまざまな改革を行い、改革者の印象が強くある戦国武将・織田信長。
しかし、歴史小説やドラマなどの創作された部分を排除していくと、意外な人物像が見えてくると言う。
著書『応仁の乱』がベストセラーになった、歴史学者・呉座勇一さんの『令和に生かす日本史』(扶桑社新書)は、令和の現代におけるビジネスのヒントや生き方の指針を得られる一冊。
そこから織田信長の代表的な政策の一つ「楽市楽座(らくいちらくざ)」を通してみる、リアルな信長像について一部抜粋・再編集して紹介する。
信長の専売特許ではない
現代でも経済問題で時折引き合いに出される信長の「楽市楽座(らくいちらくざ)」政策。規制を撤廃することで既得権益を否定し、経済を活性化させる。
この規制緩和にも似た手法が、改革の天才・信長のイメージを作り出しているといえよう。

しかし誤解されがちだが、楽市令は信長以前から多くの大名によって発令されており、信長の専売特許ではない。
楽市令は、取引をめぐる暴力事件などの禁止(治安維持の保障)、市場での売買に賦課(ふか)される営業税の免除、市場への入場料の免除などによって、商人の来場を促し市場の振興を図る法令である。
そもそも座とは?
実は信長の独創性は、従来から存在する楽市令に、「楽座」を組み合わせ、「楽市楽座」というキャッチフレーズを創出したことにある。
座とは、中世における同業者組合のことで、照明に用いる油を販売する油座、酒造のための麹(こうじ)を製造販売する麹座、そのほかに魚座、材木座などさまざまな座が各地に存在した。
こうした座は商工業者の自治組織であると同時に、彼らだけで商品の流通を独占するカルテルでもあった。座に参加していない商人は商業活動から排除されたのである。
こうした座組織は、商業慣行が未成熟だった時代においては、座商人たちの権利を守り取引を円滑化させる意味を持っていた。
けれども時代が下り商業取引が活発になっていくと、独占組織として新規参入を拒む座は、自由な経済活動を阻害する存在になっていった。
座の特権を否定し自由な営業を
ところが戦国大名は、時代遅れとなっていた座を解体しようとはしなかった。