放置された自転車
「逃走に使った自転車は前かご付きの黒色のママチャリで、下見を始めた3月23日以降にアクロシティ周辺で調達したものだ。
狙撃後、この自転車に飛び乗り、アクロシティ敷地内を走り、敷地を出ると左折し、千住間道に突き当たるまで真っすぐ走った。
千住間道に突き当たる手前の右側にある建物にスタンドを下ろさず鍵もかけず立てかけ、誰かが持ち去ってくれることを期待した。その後千住間道を挟んだ向かい側にあるNTT荒川支店の駐車場で待機していた車に乗り込み西日暮里駅まで送ってもらった」

「この地図に逃走経路を示して欲しい」
原が用意した現場周辺の地図を渡すと、中村は自ら地図上をペンでなぞり、自転車を乗り捨てた位置にも印をつけた。
この供述を南千住署特別捜査本部で原が確認したところ、24インチの自転車が供述通りの位置から回収されていたことがわかったのである。
バッグから火薬残渣物
この年の12月の調べで、中村は事件当日に銃器を運ぶため使ったショルダーバッグは、協力者A所有の三重県名張市の居宅に置いてきた濃紺色の「GEORGIA」と書かれたバッグだったことも供述する。
事件後、拳銃をバッグ背面にあるチャック付きのポケット内部にしまったことも明かした。

科学捜査研究所が鑑定したところ、中村が拳銃をしまったと明かした背面チャック付きのポケットから「鉛 バリウム アンチモン」3種類が結合した球状粒子が検出され、拳銃発射時の火薬残渣物が付着していたことが明らかになった。
2007年には中村が拳銃を購入したと供述したアメリカのウェザビー本社から中村がコルト・パイソンを購入した記録が見つかり裏が取れた。中村の供述通り1987年で「Teruo KOBAYASHI」の偽名が使われ687ドル50セントで購入されていたことがウェザビー社の協力で判明したのである。
中村捜査班はここまでの捜査を積み上げていた。原は翌2008年、これまでの捜査結果を中村にぶつけ自供に追い込むことになる。
【秘録】警察庁長官銃撃事件54に続く
【執筆:フジテレビ解説委員 上法玄】
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。