東日本大震災の発生から3月11日で14年。各地では犠牲者と被災地への祈りが捧げられた。山形市では追悼と復興を願う灯りが灯され、米沢市では市民や避難者たちが「震災の記憶を風化させない」と誓いを新たにした。
2025年も温かな灯りが優しく輝く
11日、山形市の文翔館では午後5時から東日本大震災の「犠牲者の追悼」と「復興に向けた祈り」を捧げる『キャンドルナイト』が行われた。

並べられたロウソクは約400本。1本1本に追悼と復興への祈りが込められている。
ロウソクによって“復興を願って手と手をつなぐハンドシェイク”の形と「3.11」の文字がかたどられ、会場は厳かな雰囲気となっていた。

キャンドルシェードには「被災された方の心にいつも満開の花が咲いていますように」「多くの悲劇を忘れず、繰り返されないように備えよう」「風雪に耐え、希望の春が来ますように」など、祈りと前向きなメッセージが書かれている。
取材した際には約100人が訪れていて、祈るような様子で静かにキャンドルの灯を見つめていた。
多くの避難者受け入れた米沢市でも
追悼し復興を願う式典は米沢市でも行われ、市民や避難者たちが「震災の記憶を風化させない」と誓いを新たにした。
福島第一原発の事故直後から、米沢市は福島県からを中心に多くの避難者を受け入れ、ピーク時には約3900人が避難生活を送った。

復興を願う式典は震災の翌年から続いていて、2025年も多くの市民や避難者などが会場を訪れ献花台に花を手向けたほか、地震が発生した午後2時46分には出席者全員で黙とうし、犠牲者と被災地への祈りを捧げた。

震災直後に福島・富岡町から避難して以来、14年間、米沢市で暮らしているという夫婦は「忘れないですね、やっぱり。地震のすごさとか、あっという間に周りの人と別れてバラバラになったというのはちょっと寂しいですけど、ここまで乗り越えてこられたことに感謝しています」「自分たちはたまたま命をもらっているけど、命を亡くした人はいつまでも同じ歳で止まっている。一緒に、心の中であたためて生活したい」と語った。
「もうしばらく山形で生活したい」
県によると、2月1日時点で県内には1159人が避難していて、山形市が最も多く389人、次いで米沢市が292人となっている。

また、県が2024年に行ったアンケートでは、避難者の6割を超える人が「山形に定住したい」「もうしばらく山形で生活したい」と回答している。
2024年は能登半島で大きな地震が発生し、県内でも7月に豪雨災害に見舞われ3人の尊い命が失われた。また、岩手県の大規模な山火事も9日に収まったばかりで、身の回りには常に危険があることを思い知らされる。

3月11日は山形県で暮らす人たちにとっても記憶に刻まれた日だ。「災害を自分のこと」として捉え、常に防災への備えをしていくことが大切だと考える。
(さくらんぼテレビ)