プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績・伝説を徳光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!
俊足・巧打・堅守で8シーズンで打率3割超え。横浜大洋「スーパーカートリオ」の1番バッターとして活躍、アテネ五輪で守備・走塁コーチを務め、現在は解説者として活躍する“レジェンド”高木豊氏に徳光和夫が切り込んだ。
法政大・江川卓を目撃 「君は捕れるかな?」伝説
徳光和夫:
中央大学に進んだってことは、ご自分の中で振り返りますと、よかったかなっていうのはありますか?

高木豊:
いやーよかったですね。人脈もできましたし。
高校から入ってたら、やっぱ無名の高校ですから、誰も周りは知らないというか。
やっぱり日米野球で2年間選出してもらって、その時に岡田(彰布)さんだとか、ああいう人と出会うわけだし。原辰徳だとか、そういう人たちと一緒に野球ができるわけじゃないですか。
だからそれは、やっぱり人脈ということを考えるとすごくよかったなと思います。
徳光:
江川(卓)さんもですか?

高木:
江川さんはね、ちょっと違います。
江川さんとは、1年、4年だったんで。セレクションでは一緒になりました。江川さん見た時は感動しましたね。
徳光:
そうですか。

高木:
駒澤大の1年生(捕手)が、手伝いで江川さんの球を受けに来たんですよ。
江川さんがいざ投げる前に、そのキャッチャーに向かって、「君は捕れるかな?」みたいな、「大丈夫かな」って言ったら、やっぱりプライドあるじゃないですか。「大丈夫です」みたいな。
1球バーンと投げたら、ここらへんのボールそらしましたよ。
「やっぱ代わろう」みたいな。すごいなと思って。
初のキャンプで同部屋は…「2塁を争う」大ベテラン伝説
徳光:
いざプロということになりますと、当然ドラフトがあるわけじゃないですか。3位指名だった。これはご自身としましては、ちょっとプライド傷つきました?

高木:
そうですね。当時1位ぐらいしか放送がなかったんですよ。
徳光:
ああそうか、ありましたね。
高木:
それでも来年までサヨナラみたいな。えっ、みたいな。俺はどうなったの?みたいな。
そしたら時間を追って、3位だっていうふうに聞かれて。
当時、重複指名があったかどうかが重要だったんですよ。
「重複あったか?」って言ったら、「ない」と。大洋1本だったと。
「よかったですね」って、何がいいんだみたいな。
3位っていうのは、やっぱこうちょっとショックだったんですけど。
徳光:
意外ですよね、なんで3位だったんだ、この成績でって。

高木:
ただ、その時、プリンスホテルという社会人ができていて。
徳光:
強いチームですね。

高木:
石毛(宏典)さんとかが、1、3で上なんですよ。中尾さんとか。
で、そこらへんもドラフトだったんです。
だからちょうど、そのなんて言うんですかね、2学年上の先輩たちが、2年社会人を経験したあとにプロに入ってくるんで、いい選手が結構多かったですね。だからといってですよ。
徳光:
で、高木さん、不満ではあったんでありますけども、そのままプロに進もうと。
高木:
回り道はしたくなかったですよね、社会人に行ってとか。プロに行って勝負すればいいことだし。
徳光:
プロに入って最初のキャンプがいきなりアリゾナだった。

高木:
そうですね。部屋が基(満男)さんと一緒だったんですね。

徳光:
同じセカンドベースの先輩の。
高木:
もう神経使いましたね。もう大ベテランじゃないですか。なんでこの人と一緒なんだと思って。「豊、酒飲むか?」って言うから、「僕あんまり強くないですけど」って。
「ワイン買ってこい」みたいな。こんなでかいボトルの買ってきたんですよね。で、一緒に飲むぞって。ほとんど飲まないんですよ、基さんが。「おまえ飲め、おまえ飲め」って。次の日、ヘロヘロですよ。これがプロかみたいな。なんか洗礼を受けましたね。
徳光:
「基の後継者」ってことですよね。
高木:
そうですね。その前の年にミヤーンという。

徳光:
ミヤーンがいた。
高木:
その人が首位打者を取って、辞めていかれて。
で、僕が入団して、ミヤーンがつけてた16番を僕がつけるようになった。
期待されてたのかどうかっていうことですよね。
徳光:
いや期待されてたんでしょうね。