東日本大震災と福島第一原発事故の発生から間もなく14年となる。もっとも事故の被害が大きかった福島県の太平洋沿岸にある浜通り地域はいまどうなっているのか。
第一回は廃炉に向けた福島第一原発の現状と復興の中核拠点として政府が設立した「福島国際研究教育機構」がある浪江町を取材した。
海洋放出により処理水タンクを解体へ
福島第一原子力発電所では、2023年8月から始まった処理水の海洋放出により、空になった溶接型タンクの解体作業が先月から始まった。海洋放出はこれまで10回行われ、累計処理水放出量 78,285m³となっている。解体が決まっている溶接型タンクはあわせて21基で、このうち12基は2025年度中に解体を目指す。

では、廃炉作業はどう進んでいるのか。1号機では、使用済み燃料プールからの燃料を取り出しに向けた建屋内のがれき撤去を進めており、原子炉建屋を囲う大型カバーを設置するための組み立て作業と外周鉄骨の撤去を並行して行っている。
96%のエリアは一般作業服で作業可能に
2号機では、2024年11月、大きさ5ミリ程度と「本当にひとつまみ」(東京電力)の燃料デブリを事故後初めて試験的に取り出した。しかし1~3号機では計880トンの燃料デブリが生じているとみられており、まだ廃炉への道のりは長い。

一方、事故当時は全てのエリアで防護服と全面マスクを着用して作業していたが、いまは地表の放射線量の低減などにより96%のエリアで簡易マスクと一般作業服で作業ができるようになった。ただ東電では「空間線量を事前に測って、作業員の被ばく線量が5年で100ミリシーベルト、年間20ミリシーベルトを超えないように計画を立ててやっている」という。
国内外の研究者が集まる拠点づくり
2023年に福島県浜通り地域にある浪江町に設立されたのが「福島国際研究教育機構(以下エフレイ)」だ。震災と原発事故の被災地である浪江町で、日本の科学技術力と産業競争力をけん引する復興の中核拠点となることを目指している。エフレイの本部は今、浪江町の施設内にあり、JR浪江町駅近くの東京ドーム3.5個分の広さを持つ敷地はほぼ用地確保を終えて、2028年度までに研究開発の拠点が建設される予定だ。2030年頃には国内外から約500人の研究者を集め、運営管理部門も合わせて700人規模の研究施設の完成を目指している。

エフレイが取り組む研究開発分野を、金沢大学前学長の山崎光悦理事長はこう語る。
「1つ目が廃炉にも資するロボット技術をわが国で開発したい。2つ目が農林水産業。高齢化する農業を省力化・スマート化して支えていきたい。3つ目は再生可能エネルギーによる脱炭素。4つ目は放射線科学、そして最後が原子力災害のデータを集積して発信することです。これらの成果をもって福島はじめ東北全体の復興、さらには日本の科学技術力と国際競争力の復活に貢献したいと思います」
復興で終わらず次の世代へ繋ぐものに
そして気になるのは地域経済へのインパクトだ。700人規模の施設が出来上がれば、住民増と地域の活性化が見込まれる中、山崎氏は「“エフレイ村”はつくらない」と語る。
「浜通りのコミュニティが少しずつ復活してきていますので、敷地内に研究者が閉じこもるのではなく民間の家に住んでもらって、地域の方と一緒に生活してコミュニティの一員になってほしいと思います」

エフレイへの地元の期待は大きい。しかし浪江町の吉田栄光町長は浪江町だけでなく、東北、そして日本全体への成果の発信を強調する。
「福島県は原発事故で過疎化や少子化を先んじて体験しています。だからエフレイはこうした社会の環境変化から求められているものを実証、研究していき、復興で終わりではなく次の世代につないでいくものになってほしいです」
処理水海洋放出の風評被害の現状は
浪江町には福島を代表する請戸漁港がある。処理水の海洋放出を控えた2年前、吉田町長に風評被害について聞くと「とてつもないエネルギーをかけて復興しようと言っているときに、この処理水は大きな課題」と語っていた。
(関連記事:いよいよ始まる海洋放出…福島第一原発敷地内の現状と地元の声を取材「処理水の海洋放出にはやはり反対なんですよね」)

では、その後風評被害はどうなったのか。現状について伺うと「ないことはないと思う」と語り、こう続けた。
「宮城県の養殖は中国に輸出しているものもあって非常に影響を受けましたので一概にお話できませんが、福島の漁業に限って言うと日本中からたくさんの応援があって、魚が足りないくらいになりました。また農業も漁業に追随し、観光についても応援団の方々に福島に足を運んでもらえました。本当に日本の国民はすごいなと思いました」
再建された神社の前で豊漁を祈る
その浪江町では先月16日、津波の被害に遭った請戸地区で300年続いてきた、豊漁を祈る安波(あんば)祭が行われた。この地区にある請戸漁港は福島第一原発から約6キロの位置にあったことから事故後近づくこともできなくなったが、2017年の避難指示解除を経て2019年から漁業を再スタートした。しかし請戸地区はいま災害危険区域に指定され住民はほとんどいない。

今年も安波祭で踊りを披露したのは、震災当時請戸地区の小学6年生だった横山和佳奈さんだ。横山さんは2021年から、震災と事故の記憶を伝える東日本大震災・原子力災害伝承館で働いている。
「震災後は避難指示が解除される2017年まで毎年、仮設住宅で踊っていました。その翌年からは神社の跡地で踊り、去年から再建された神社の前で踊りました。再建後初となった去年はたくさんの人が集まっていて、知り合いを見つけるのが大変なほどでした。皆再建されたことを喜んでいて、いつもより笑顔が多い印象でした」
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「少しずつだけど動き始めてよかった」
原発の廃炉作業について横山さんは「少しずつだけど、動き始めてよかった」と語る。
「処理水放出が始まるまで、私の周りでは『タンクがパンパンになったらどうするんだ』とか、『廃炉は本当にできるのか』と不安な声がありました。いまタンクの水が少しずつ減っていって、燃料デブリもほんの少しですが取り出されました。まだ何年かかるか見通しはついていないと思いますが、少し進んでよかったなとは思っています」

横山さんが勤める伝承館では、コロナが落ち着いて入場者数が戻ってきたという。いま伝承館の周辺ではホテルや復興祈念公園の建設が進み、2025年1月には、震災以降初めて24時間営業の外食チェーンがオープンした。浪江町ではエフレイの整備が進み移住者増が期待されるほか、駅周辺の再開発も始まっている。
しかし横山さんは「何か寂しいなと思う」と複雑な気持ちを語る。
「綺麗になって便利になるのはいいのですが、いまの馴染みある風景を壊されたくないなと思います。移住してくる人たちには、移住してきたからこそ見える浪江のいいところを発信したり、魅力のあるところを伸ばしてくれたらと思います。地元の人にはできないことで浪江を栄えさせてくれると嬉しいです」

次回は、浜通りで活躍する若き起業家たちの活動を紹介する。
【執筆:フジテレビ解説委員 鈴木款】