Jリーグ入りした高知ユナイテッドSCに新しく加入した松本光平選手。ゴーグルをかけているがこれには大きな理由がある。想像を絶する大けがを乗り越え、不屈の精神で夢を追い続けてきたその足跡と、高知でかなえた「夢」について語ってくれた。
「Jリーガーになる」ために海外へ
ひときわ目立つ金髪にゴーグル姿。高知ユナイテッドSCに新しく加入した松本光平選手(35)だ。

オセアニアにあるソロモン諸島のソロモン・ウォーリアーズから移籍してきた異色の経歴の持ち主だが、そのサッカー人生は想像を超えるものだった。

大阪生まれの松本選手がサッカーを始めたのは幼稚園年長のとき。小学校に上がる頃には、将来の夢はプロのサッカー選手。Jリーグでプレーしたいという目標があった。

高校時代はJ1・ガンバ大阪の下部組織に所属。3年間練習に明け暮れるが、卒業の時点でトップチームにはあがれず、2008年、イギリスへと渡る。しかし、あくまで松本選手の夢はJリーグの選手になることだった。
松本選手は「海外で結果を出して、日本のJリーグのチームからオファーが来て“逆輸入”で帰ってきたいという思いで今までやり続けていて」と夢を抱いていた。
松本選手が次に飛び込んだのはオセアニアのチーム。

「Jリーグに入るとなったら、日本よりも上のレベルのところや大会に出ないと目に留まらないと思った」と話す松本選手、目指したのはクラブチームの世界一を決める大会・クラブワールドカップへの出場だ。他の地域に比べチーム数が少ないオセアニアでプレーすることが出場の可能性が高いと判断したのだ。

現地での生活は「自給自足」を強いられたといい、屈強なチームメイトと一緒に収まった1枚の写真をみると、手には「やり」を持っていた。
松本光平選手:
(自給自足は)狩りですね。チームメイトが“やり”を持って狩りしてたりとか、練習中でもおなかがすいたら「一狩り行ってくる」って言って出て行ってしまう選手がいたり。

当時の松本選手のチーム内の役割がココナッツ担当だった。「僕はココナッツ担当。水分補給は基本的にココナッツでやるので、ココナッツで水分を補給する担当をずっとしてました。他の選手が狩りをして食べ物を調達してきてくれました」と話す。
そんなオセアニアのサッカーの特徴はフィジカルだ。

松本光平選手:
ニュージーランドに長くいたんですけど、オールブラックスのガタイをしたような人がサッカーをしてたりとか、ぶつかったら“交通事故”みたいな感じ。サッカーよりも筋トレの時間の方が長かった。

心身ともに鍛えられ、2019年、ニューカレドニアのヤンゲンというチームで念願のクラブワールドカップ出場を果たす。しかし、個人的には結果も内容もよくなかったという。そのため、「もう一度結果を出して、次こそは日本に戻って来られるようにしたい」との思いで、クラブワールドカップに出た後も、もう一度クラブワールドカップに出るということを目標に、オセアニアに残った。
視力を失うも夢を追い続け復帰へ
その思いを胸にニュージーランドのチームでトレーニングに励んでいた2020年、松本選手を悲劇が襲った。

松本選手が金具にチューブをひっかけて引っ張るトレーニングをしていた時、留めている留め金が外れてしまい、チューブの勢いで飛んできた金具がパチンコのような感じで右目に刺さった。右目に金具、左目にはチューブが当たり、目が見えなくなった。
選手生命にも関わる大事故にもかかわらず松本選手は…

松本光平選手:
バーンって最初にぶつけた時は「うわ、パラリンピックだ」って思ったんですけど、運ばれている時に冷静に考えたら、ポジションが右サイドバックなので、右目が見えなくても左目が残ってたらプレーはできるんじゃないかなと。

さらに、「5月にケガしたんですけど、12月にクラブワールドカップに出るってずっと決めてたので、残り半年ちょっと。その間に絶対に復帰しようと思っていた」と続けて話す。

一刻も早くサッカーに復帰するために日本での手術に臨んだ松本選手。右目の視力を失い、左目の視力も0.01ほどに。それでも、もう一度ピッチに立つために過酷なリハビリ生活が始まった。
松本光平選手:
手術が終わってから歩くリハビリを始めた。最初はなかなか真っすぐ歩くことができなかったり、ちょっと歩いたら気分が悪くなって吐きに行ってしまったりだった。
祖父に導かれ…念願のJリーガーに
まず歩くことから始まったリハビリは、半年かけてある程度のプレーができるまでになったが、復帰には3年の月日を要した。

そして2023年、サッカーに復帰を果たす。
松本光平選手:
完璧にプレーできるように、自分の弱いところを全て補う作業というのはしてきたので、今は全く問題なくプレーできます。目が原因でエラーが起きるということもないので、今は目をケガする前と同じぐらいのパフォーマンスでプレーができてるんじゃないかなと思っています。
ケガをする前と同じぐらいのパフォーマンスに戻ったという松本選手。見える世界はすべてがぼやけているという。

松本光平選手:
ボールは止まっていても“ぶれ玉”みたいに見えてるので、ぶれてるところの中心がここっていうのを分かるように、この4年間かけてしっかりトレーニングしてきた。(ボールが)飛んできても全く問題なくトラップもパスもできます。
そして2025年、高知ユナイテッドに加入したことで、幼少期から抱いていたJリーガーになるという夢を35歳にしてかなえた。

「Jリーガーになるという目標がずっとあったので、それがあったおかげで自分はケガをしたあとも前を向いて進んで来られたと思う。その目標をこのチームでかなえることができたので、チームに恩返しができるようにしっかりと頑張りたい」と意気込みを話す。
夢をかなえた高知という場所は、松本選手にとって特別な場所だった。

松本光平選手:
元々おじいちゃんが高知の人間で、子どもの頃から何回も(高知に)来たことはあった。おじいちゃんは亡くなってるんですけど、今年がちょうど13回忌ということもあって、元々高知に今年来ようというふうに思っていた。すごいタイミングでこのチームに加入することができたので、おじいちゃんが呼んでくれたのかな、と思ってます。
祖父に導かれた高知でJリーガーになるという夢をかなえた松本光平選手。光り輝く道へ、新たな挑戦が始まる。
(高知さんさんテレビ)