落涙
下をじっと見つめているXが、どれくらい経っただろうか、急に顔を上げて石室の顔を見てきた。
石室にはXの瞳が潤んで見えたという。
「どうも、自分はですね…現場で撃ったような気がするんですよ」
「撃て、撃てで、撃ちました」
絞るような声が出るやXの目から涙がこぼれる。
嗚咽に近かった。
石室が静かに言った。
「警察庁長官を撃ったということか?」
頷いたXは真一文字に唇を噛んで歯を食いしばっている。
拭うことを忘れた涙は堰を切って頬を伝いボロボロと落ちた。
Xが落ちた
「今日は疲れただろうな。Xくん、もう寝ようよ。朝起きてから聞かせてくれないか」
石室は取り調べを切り上げた。
明け方、栢木の家の固定電話がけたたましく鳴った。よろめきながら電話の受話器をとった栢木に、受話器を通じて石室が怒鳴っていた。
「Xが長官を撃ったと自供した!!」
本当か!?栢木は羽が生えたかのように家を出て早朝の電車に飛び乗り、池袋のサンシャインシティに向かった。

栢木がプリンスホテルに到着した時、石室と山路はXの自供の状況を報告書にまとめている最中だった。興奮冷めやらない2人は、普段より上ずった声で自供した時の様子を話した。
Xが涙と共に話し始めた。
嘘の話を織り交ぜながらも「自分が長官を撃ちました」と告白したのだ。
何か狙いがあるのではないか…そう疑う気持ちの裏で、「Xが落ちた」と取調官3人が手応えを感じていたのも事実だった。
【秘録】警察庁長官銃撃事件21に続く
【編集部注】
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。