写真を見せられたXは2カ所とも「ここだと思います」とあっさり認める。

この裏付け捜査のやり方が後々問題視されるとは石室自身も思ってもみなかった。

目撃情報I
目撃情報I

その2カ所は地取り捜査班が発生直後に集めた様々な目撃証言が出た場所に近い。
クリスマスツリーと証言した場所は隅田川沿いにある「目撃情報I」の場所であり、T字路交差点は「目撃情報D」ポンキッキーズの時間帯に少年が目撃した「キーキー」と急ブレーキ音を立てた自転車が走り去った場所の延長線上に位置する。

目撃情報D
目撃情報D

特別捜査本部は目撃情報から犯人がどの様な逃走経路で自転車を走らせたか、ある程度特定できていたため、これらのX証言は秘密の暴露にはあたらなかった。

しかし、荒川区の現場周辺と本来縁もゆかりもないXが、なぜこれらの場所について言い当てるかのように話せるのか。X本人が実際に現場に足を運んだか、あるいは現場に行ったことのある者から話を詳細に聞いていたのではないか。X巡査長の一連の話は事件への何らかの関与を物語っていた。

調べ官・石室の決意

4月21日から始まった一連の聴取で、石室はXを1人の警察官として敬意を持って扱ってきた。

栢木が人事一課と合同でXを調べていた際「長官の自宅住所を本富士署の警務に行って調べたんじゃないか?」と聞いた時、Xが「仮にも私は本官ですよ!!そんなことはしません」と言って顔を真っ赤にして怒ったという話を聞いていたからだ。

長官銃撃事件の現場マンション 東京・荒川区
長官銃撃事件の現場マンション 東京・荒川区

警察官としてのプライドが少しはあるのだろう。そこは同じ警察官として信じたかった。

警察官としてあるべき自分と、信者として求められている信仰への帰依との狭間に立たされ苦しんでいるのではないか。

何とかこちら側に引き戻してやりたい。石室にはそんな思いがあったのかもしれない。

なぜ警察官でありながらその最高指揮官である長官を銃撃する犯人の防衛をしようとなったのか?「仮にも私は本官ですよ!」と「私はオウムそのものでした」のどちらが本当のXなのか?

今は、オウムの側の人間なのだろう。

Xは教団への帰依を隠さなかった 映像は教団ビデオより“空中浮遊”とされたもの
Xは教団への帰依を隠さなかった 映像は教団ビデオより“空中浮遊”とされたもの

だからこそ裏を取れば簡単にバレてしまうような嘘やいい加減なことを何度も言っているのだ。
今追及しないとタガが緩んだままになる。タガが緩んだままだと、細部に多くの出鱈目を含んだ供述から抜け出せなくなってしまう。

蓋を開けて裏を取ったらヤツの話は穴だらけのザルのようで、一生懸命汲み取ってきた供述は水の様に抜けてどこにも見あたらないということになりかねない。
このままでは済まないという緊張感をXに持たせないといけない。

鞭打つ潮目を石室は見ていた。嘘を重ねているXに、それを指摘して方向修正をかけないと、Xとの信頼関係も生まれない。
石室はXに少し突っ込んだ質問をした。