地下鉄サリン事件の翌日21日に、井上から「警察官が本栖湖にいっぱい集まっているけど、何か知らないか」と尋ねられると、X巡査長は「もしあるとしたら仮谷さん事件で重田(仮名)というのが容疑者になっているので、大崎署の仮谷事件(目黒公証役場事務長監禁致死事件)ではないか」と答えていることだ。
Xはこともあろうに事前に犯人の実名を井上に教えていたのである。

重田を全国に指名手配したのは、上九一色村のオウム真理教教団施設の一斉捜索に踏み切った3月22日で、重田容疑者の名前は当然捜査上の秘密であり22日まで伏せられていたはずだ。
ところが、この行動概要によるとX巡査長は重田が容疑者として浮上していることをどこかで知り、世間に公開指名手配されるより1日早く井上に教えていたことになる。
Xが重要な捜査情報をオウム真理教側に漏洩していた可能性があることが浮き彫りとなった。
「行動概要」が記された日付は1996年4月19日。Xの存在が世間に暴露される半年も前である。
捜査情報漏洩を隠した警視庁
警視庁は、オウム信者のX巡査長が捜査上の最重要機密を教団に漏らしていたことを認識しながらも、直ちにこの男の存在を世間に公表しなかった。
この「行動概要」は、Xが関与したかもしれない重大な情報漏洩について、警視庁が隠し続けたことを示しているのだ。

警視庁は公表することよりも、この男が犯した罪の全容を明らかにするため、調べに時間をかけることを優先した。
まず長官事件当日、Xが「東大病院のテレビで事件発生を知った」と話したことについて、4月17日と19日に栢木が裏付け捜査を行う。
すると、診察カルテなどの記録からXが1995年3月30日に東大病院を受診した事実がないことや、東大病院の待合室に設置されているテレビは通常の放送が映らず、医療や交通安全などのビデオを流すモニターとして使われているだけだったことが判明した。
これ以降Xは嘘を問いただされる度に、自分の供述を少しずつ変え、追及をかわそうとしていくのである。
そのある種「いたちごっこ」のような取り調べと、それにより振り回され迷走する捜査も、この「行動概要」から始まったと言っていい。
【秘録】警察庁長官銃撃事件15に続く
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。