こうして栢木は、去年からX巡査長を任意で調べてきた国島監察官と一緒に話を聴くことになった。最初にXに会ったのは1996年4月5日。しばらく雑談した後、栢木は頃合いを見て井上の話について尋ねた。

「井上になんか教えていません!」

「Xくん、長官事件当日、井上は事件発生について君から電話で聞いたと言っているんだが、どうなんだ?そういう電話をしたのかい?」

するとX巡査長は「井上なんかに教えていません」と激しく否定したのである。出鼻をくじかれた思いで栢木と国島監察官の調べは始まった。

井上嘉浩元死刑囚
井上嘉浩元死刑囚

警察官らしい所作の男だ。

X巡査長の第一印象である。きちんと折り目正しく話すのが印象的だった。

入信の経緯や仕事についての質問には表情一つ変えずに「あれはこうです、これはこうです」と淡々と淀みなく話す。

栢木が「Xくん、長官事件があった3月30日はどこにいたんだい?」と尋ねると、「午前中は東大病院に行っていました」と答えた。

ーーサリンの後遺症かい?
そうなんです。

銃撃事件当日の30日にX巡査長は…

3月20日の地下鉄サリン事件の発生を受けて、X巡査長は本富士署管内にある丸ノ内線の車両車庫に向かった。

サリンがしみこんだ新聞紙を回収するためだった。

地下鉄サリン事件 1995年3月20日
地下鉄サリン事件 1995年3月20日

新聞紙はナイロンの袋に入っていて、Xはその袋をバケツに入れて署に持ち帰ってきた。

署に帰ると特捜本部から連絡が入り、「どこの新聞の新聞紙か」などと質問が矢継ぎ早に飛んで来る。

Xは本富士署に持ち帰ったバケツの中にあったナイロンの袋を開けたところ、視野が暗くなってきたという。

すると「何で開けたんだ。サリンだぞ!やめろ!」と署長が怒鳴り込んできた。

Xはサリンによる縮瞳がおきたため、直ちに東大病院で診察を受けることになった。

幸い大事に至らず経過観察となり、医師から再度来院するよう言われていたが、その後地下鉄サリン事件を捜査する築地署特別捜査本部に派遣されたため、東大病院に行く時間を作れずにいた。

Xの供述によると、長官銃撃事件があった30日になってようやく病院に行ける時間が見つかったという。

東京大学医学部付属病院 東京・文京区
東京大学医学部付属病院 東京・文京区

「東大病院の待合室で、警察庁長官が何者かに撃たれたというニュースが流れていて、これは大変だと思って、井上(井上嘉浩)に携帯で電話しました」

「井上なんかに教えていません」と言っていた当初の発言を覆し、井上に電話したことを認める。

ーーなんで井上に電話したの?
何かあった時は電話してくださいと言われていましたので。

X巡査長の話しぶりは流れるようで、つかえる部分がない。そのことに栢木は初めから違和感を持っていた。

淡々と感情を表に出さずに供述するX巡査長も、時に気色ばんだことがあった。