「私は本官ですよ!」声荒らげるX巡査長
国松長官は若い頃、Xが勤務する本富士署の署長を務めたことがある。署と縁の深い歴代署長には、毎年年始の銃剣道大会である「武道始め」など署が行う行事の招待状を送ることから、歴代署長の住所は署の警務課が把握している。

栢木が「君が警務課のところに行って長官の住所を調べたんじゃないの?」と尋ねると、Xは「そんなこと、私は絶対にしません!!仮にも私は本官ですよ!!」と顔を真っ赤にして、珍しく声を荒げて否定してみせた。
国島と栢木による雑談を交えながらの初期の取り調べは1996年4月5日、9日、11日と回を重ねていく。
2人はX巡査長が1995年3月20日から長官銃撃事件が発生した3月30日まで、毎日何をしていたのかについて把握することに努めた。
そして聴取4回目となる4月19日、Xの供述内容を「行動概要」として記録するのである。
Xの「行動概要」は解りづらい部分もあるが、以下その全容である。
【捜査資料全文】X巡査長行動概要
3月20日
午前6時半 起床 出勤準備。
午前7時 寮を出る。コンビニでおにぎりを買ったと思う。
午前7時半 署に必ず着く。公安の部屋の清掃(机を拭いたりゴミの処理)
午前8時すぎ サリン事件発生「地下鉄ゲリラ」重防点検に行く。
本郷四丁目(最高裁判事)徒歩(係長同行)~異常なし(1時間位)
丸の内線本郷三丁目「不審物件」あり本郷三丁目の方へ臨場。署員(署長、課長も)多数。
消防隊員 署に「物」を持っていくということで、係長が「持っていくぞ」と言ったので、私が部屋に入ったばかりなので、率先して私が「物」を署に持って行った。(バケツに入ったナイロン袋)署の4階に運んだ。本部の鑑識の人がみたいと言うので、踊り場で袋を開けた。

バケツをはずした。割りバシで新聞紙をめくって(インクが黒くにじむ)どの新聞か物に近づいた(日経の20日)写真を撮って「物」をしまう。部屋に入ったら目の前が薄暗い感じとなり地図をハサミで切っていたところ、手がふるえてきた。
他の人も暗いと言いだし署長が来て「何で開けた」とすごくおこって「病院へ行け」それでみんなで病院に行った。
病院に行ったのは午前中。(「物」がサリンであると発表を聞いた)だと思う。1Fの受付で済ませ、2F診察所に行った。
ここでも少し待っていた。問診を受けた。症状だけ、措置なし、薬なし 署に戻り、仕事した。

午後何時頃か忘れたが築地特捜本部 当署から3名行くことに決まり私とOさん、Sさんの3人に決まった。
勤務終了後、明日から特捜本部へ行くということで、係長(アパ対)が公安の部屋で軽く一杯やった。午後8時ごろ終わったと思う。
記憶では寮に帰る途中、ボックス電話から「井上」に電話した。たぶん。
「サリンを浴びて頭が痛い。明日から築地の捜査本部に行く」
井上はその言葉は忘れたがを心配している言葉が返ってきたと思う。この時は忘れてしまったが井上は「これでオウムの救済の役に立つことができるようになりますね」とも言ったと思う。
そのまま寮に帰り明日、築地に午前8時30分出勤ですので、午後11時ごろに就寝していたと思う。この夜はサリンのせいか頭が痛くよく眠ることができなかった。