東海道新幹線は2024年10月1日で開業60周年を迎えた。開業時の“第1号”の入場券を持つ男性が、当時を振り返った。

■当時は食堂車も…『夢の超特急』のこれまで

東海道新幹線が開業したのは1964年10月1日、東京オリンピックの開幕目前だった。

開業当時の様子 1961年10月1日
開業当時の様子 1961年10月1日
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時、東京~新大阪間を4時間、時速200キロで走ることから『夢の超特急』と呼ばれ、愛くるしい「団子っ鼻」も親しまれた。

団子っ鼻も愛くるしいと親しまれた
団子っ鼻も愛くるしいと親しまれた

新幹線が定着するきっかけとなったのが、1970年の大阪万博だ。万博の入場者数およそ6400万人のうち1000万人ほどが新幹線を利用し、車内は大混雑した。新幹線が身近なものとなり、利用者の拡大につながった。

1970年の大阪万博
1970年の大阪万博

当時、新幹線のお楽しみといえば「走るレストラン」ともいわれた食堂車だ。流れる景色とともに、ハンバーグやカレーといったメニューを車内でゆったりと楽しめることで人気を集めた。

1992年には、時速270キロで走る「のぞみ」が登場した。

1992年
1992年

一番列車が名古屋駅に停まらない“名古屋飛ばし”も話題になった。

■まもなく引退…ファンに愛された『ドクターイエロー』

新幹線の人気者『ドクターイエロー』は、「見ると幸せになれる」と鉄道ファンに愛された。

営業路線を走行して電気や軌道の設備などをチェックしているが、かつてのドクターイエローは「団子っ鼻」の0系がベースだった。

2025年1月には、東海道新幹線からの引退が決まっている。

■“第1号”の入場券を持つ男性「宝物として永久に残したい」

東海道新幹線が開業した60年前に、忘れられない経験をした人がいる。三重県津市に住む伊藤秀夫さん(76)は、北海道から沖縄まで、全国およそ1万カ所の駅の入場券を集める「入場券コレクター」だ。

伊藤さんの自宅には、東海道新幹線が開業した当時の貴重な歴史が残されていた。東海道新幹線・開業初日に新大阪駅で発券された第1号の「入場券」だ。60年前の日付とともに、当時10円だった料金も記されている。

伊藤秀夫さん:
新大阪駅の入場券で、昭和39年10月1日、開業の第1号の入場券ですね。裏に0001番という番号、全部番号が振ってあるんだけど、その番号が1番目ということで

伊藤さんは学生の頃から、自ら駅を周るなどして入場券を集めていて、新幹線が開業する60年前は高校生だった。

前日から学校を休み、1人で津市から新大阪駅へ行き、入場券売り場の前で一夜を過ごした。

伊藤さん:
前日から当時のSL蒸気機関車に乗り継いで新大阪駅に着いて、新聞にくるまって順番を待つ。手にした時は、まさか自分がナンバーワンの入場券を買えると思ってなかった。本当にうれしかったですね。行きは真っ黒のSLで行って、向こうではピカピカの真っ白の新幹線、すごいなと思ってね、その落差にもう感動しました。乗るのはお金もないし高嶺の花だったから、もう見送るということですよね

60年前の入場券を見るたびに、当時の思い出がまるで昨日のことのように蘇ってくるという。

伊藤さん:
わざわざ新大阪駅まで行ったかいがありましたね。私の宝物として、永久に残しておきたい

今や東京~新大阪間を2時間21分で結ぶ東海道新幹線。60年間で延べ70億人を運び続けた「日本の大動脈」だ。

利用客A:
週1回、単身赴任なので東京と往復しています。ないと困りますね

利用客B:
食堂車があったのがなくなったりとかありますけど、快適に使わせていただいています

利用客C:
友達とディズニー行くとかユニバ行くとかで、新幹線は結構使います。東京に向かう時は静岡を通るので、富士山が見えたらいいなと

時代は移り変わっても、東海道新幹線はこれからも、多くの人の暮らしとともに走り続ける。

(東海テレビ)

東海テレビ
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