食の雑誌「dancyu」元編集長/発行人・植野広生さんが求め続ける、ずっと食べ続けたい“日本一ふつうで美味しい”レシピ。
植野さんが紹介するのは「ハンバーグ」。
経堂にある「洋風食堂 はしぐち亭」を訪れ、ダシのうまみ味をこれでもかと吸った、とっておきの一品を紹介。うま味をとことん逃がさない、ハンバーグの概念を変えるレシピを生み出した店主の歴史にも迫る。
世田谷エリアで人気の経堂にある洋風食堂
「洋風食堂はしぐち亭」があるのは、東京・世田谷区、経堂。
小田急線で新宿から約15分で、世田谷エリアの中でも特に人気の住宅街のひとつだ。
「経堂は、見ての通りお店がたくさんあります。“農大通り”というところは、名前の通り東京農業大学が近くにありまして、他にもいろいろな高校があるので学生さんがここをよく通ります。
学生さんががっつり食べる店はもちろん、いいお寿司屋さんや居酒屋さんもありまして、この通りはものすごくいろいろなお店があります」と植野さん。
植野さんは「経堂は洋食屋さんの激戦区でもありまして、一帯にはいろいろな洋食屋さんがあります。今日はそんな地域に密着した洋食屋さんに向かいます」と話し、お店へ向かった。
お弁当作りからランチ・ディナーまで全て店主が調理
「洋食食堂はしぐち亭」の開店は2008年。
もともとは「千歳烏山」にあったが、8年前にいまの場所に移転する。

ランチタイムには入口でお弁当も販売し、ハンバーグやオムライスなど人気のメニューが一度に味わえると評判だ。
カジュアルな雰囲気の店内は、キッチンが目の前のカウンター席のほかテーブル席も合わせ全27席ある。

そのキッチンで真っ白なコックコートを羽織るのが、店主・橋口潤二さん。隣でサポートするのは、チーフの宮﨑理恵さん。
他にも従業員はいるが、お弁当作りから、ランチとディナーのメニューすべて、橋口さんひとりで調理している。
“いつか社長に”その思いで上京
熊本県八代市出身の店主、橋口さんは、4人兄弟の三男として生まれ、高校卒業と同時に上京。
そのときの夢は「東京に出てきた時に“いつか社長になってやろう”と思って」と橋口さん。
植野さんの「それで料理を選んだというのはなぜなのですか?」という疑問に、橋口さんは「高校卒業して出てきた時に、お金もないし援助もないし何もない。住むところの寮がある、飯が食える。その2つを満たすのが飲食しかなかった」と答えた。
とにかく「生きていくため!」それが、最初に飲食の世界へ入った理由だった。
しかし、ホールスタッフとして働いていたため、料理を学ぶこともなく、毎日同じことを繰り返す日々に不安を感じ、2年で退社。
そのとき20歳だった橋口さんは「失敗は今しかできない、これからは好きな事をやろう」と決心する。
悔しい思いバネに独学でデミグラスソースを習得
橋口さんは当時を「惣菜店、定食店、無国籍料理など飲食だと14~5軒くらい回ったと思います。飲食以外だと、トラックの運転手とかサラリーマンとか画商とか色んなことをやりました」と明かした。
これまで、なんと30もの仕事を経験するが、その中でも、食べること、作ることが好きで飲食の道に戻った橋口さんに、ある夢が生まれる。

「“デミグラスソースを自分で一から作ってみたい”という思いに駆られて、フランス料理店を5~6軒くらいまわって修業しました。その時、“同期は200~300万かけてフランス料理を習ってきた。お前は何も知らなくてそこらへんの石ころなんだよ”って言われました」と橋口さん。
調理師学校を卒業している同期と比べ知識や経験の劣る分、なかなか認めてもらえなかった。
しかし、その悔しさをバネに独学でデミグラスソースの作り方を習得。そして2008年、37歳の時、千歳烏山に自分の店「はしぐち亭」をオープンする。

しかし、「安くておいしくて、みんなに食べて欲しいというサービス精神の方がかなり上回って。お客さんは来るんですけど赤字になってしまって。その中でデミグラスソースを作った時に出る、牛すじを使ったメニューを一生懸命作りました」と当時の苦労を語る。

そして8年前、洋食激戦区と言われる「経堂」に移転。
「ちとかライス」と「ふわふわのハンバーグ」という2大看板で連日大盛況しり。今は、忙しいランチタイムが終わるとスタッフみんなで乾杯するのが、何よりの楽しみなのだという。

本日のお目当ては、洋風食堂はしぐち亭の「ハンバーグ」。
一口食べた植野さんは「肉感がありつつもふわっとした後のしっとり感があり、体中の細胞に染み渡る」と感嘆する。
洋風食堂はしぐち亭「ハンバーグ」のレシピを紹介する。