パリ五輪本番を占うワールドカップが、4月21日までマカオで開催された。
男子はエース張本智和(21)が、そして女子は張本美和(15)がそろって3位。 
兄妹がそろって銅メダルを獲得した。

兄はヨーロッパの強豪を倒し、妹は世界ランキング3位の王芸迪(中国)から初勝利を挙げて勝ち進んだ。
兄妹でのメダル獲得は史上初の快挙であり、張本美和の15歳でのメダル獲得はワールドカップ史上最年少記録となった。

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パリ五輪の日本代表選手男女6人の最年長が22歳(4月30日現在)。 
若いチカラが、花の都を舞台に“卓球王国“中国から「王座奪還」し 、”卓球ニッポン“の「捲土(けんど)重来」を果たす。その期待は膨らむばかりだ。 

2003年5月のパリ世界選手権で14歳の福原愛選手が快進撃

2003年5月、パリ世界選手権。
日本卓球界が世界大会のメダル争いから遠のいていたころ、セーヌ川のほとりにあるアリーナはウェーブと大歓声に包まれていた。
観客のまなざしを独り占めしていたのは、14歳の日本代表だった。

2003年5月 パリ世界選手権
2003年5月 パリ世界選手権

当時、世界ランキング91位・初出場の福原愛と西村卓二監督は世界ランキング1位、難攻不落の最強の称号を持つ中国のエース張怡寧との準々決勝に臨んでいた。 

4月20日。早稲田大学戸田キャンパスで福原愛さん(35)、西村卓二監督(75)が日本スポーツ学会の席上で久しぶりに再会し、21年前の戦いを振り返った。 

西村卓二監督:
こうして福原と会うのは約20年ぶりですねぇ。テレビや新聞ではよく目にしているけれど、会うのは久しぶりです。元気そうでよかった。 

2001年、西村卓二は代表監督に就任し、代表選考の改革を行った。
元中国代表として実績のある帰化選手の選抜をやめ、若い国内選手を中心に抜擢した。
そして強化合宿に40人近い国内選手を集めて総当たり戦を何回も行った。
福原愛にも声がかかった。 

福原愛さん:
2003年のパリ世界選手権の代表選考会は、33人の総当たり戦で3日間試合の連続でした。14歳の私には良い経験でした。そしてパリ世界選手権の練習場は、卓球雑誌で見るトップ選手ばかり。すごい選手たちと練習ができた。朝から晩までいろいろな選手が来るから、楽しくて練習場を出たくなかった。

初の世界選手権で、福原は快進撃を見せる。
2回戦で優勝候補の一角、アテネ五輪4位・リジャウェイ(シンガポール)を得意のバックハンドで下し金星を手にする。初めてのミックスゾーンで14歳の声がはずんだ。 

「試合中、何も考えていない、手が勝手に動くんです」 

西村は、小さな日本代表の急成長をミックスゾーンでこう評した。 

「勝負勘というのは教えられるものではない。天才と呼んでいいと思う」 

中国出身のリュウジャ、韓国のエース李恩実を倒し、ベスト8に進出。 

世界ランキング91位の快進撃に、観客席ではウェーブが起こった。 

そして準々決勝で、世界No.1張怡寧(中国)と対峙(たいじ)し、敗れた。 

石川佳純も伊藤美誠もパリ五輪代表の平野美宇選手も母親が手ほどき

西村卓二監督:
福原にはセンスも才能もあったが、パリで急激に成長した。戦術的にどこを攻めたら勝てるのだろうと、自ら考えてベスト8という成績。世間からもアスリートとして認識をされた。“卓球愛ちゃん”とメディアが追いかけた母子。日本の母と子が食卓から世界を目指す起点となった。

1995年の福原愛さんと母親
1995年の福原愛さんと母親

2023年に引退した石川佳純、東京五輪の金メダリスト伊藤美誠、そしてパリ五輪代表の平野美宇。
皆、母親が自宅で卓球の手ほどきをしてトップ選手へ成長した。
現在の“卓球ニッポン”の礎は、母親の愛情でできている。 

福原愛さん:
母親に、体・メンタル・睡眠・食事などを24時間体制でサポートしてもらえる。コーチ料も必要ない。一方、子どもからすると母親に甘えられない。私も甘えられる人がいなかった。そして母親は年中無休でコーチ役。 

 1990年代、日の当たらないスポーツの代名詞だった卓球が親子のスポーツへと大変身した。
イメージチェンジした卓球は、新たなスポンサーを呼び込んだ。
強化、研究、そして普及の予算は増大し、小学生の海外遠征も当たり前になった。
エリートアカデミー事業も若年層の強化を後押しした。
裾野は大きく広がり、卓球は五輪有力競技に仲間入りをした。 

西村卓二監督:
日本は1952年、インドで佐藤博治が第1号の世界王者になり、荻村伊智朗、田中利明、大川とみ、江口富士枝と、男女で世界タイトルを独占する時代が続いた。1980年代からは、中国の1強時代が続いた。今回のパリ五輪、特に女子は王座奪還の大きなチャンス。母が手ほどきして、若いころから国際経験を積んだ選手たち。卓球ニッポン復活のパイオニアは福原だと私は思う。そして、日本の母親のチカラは強いと痛感する。

当時8歳の張本智和選手とラリーする福原愛さん
当時8歳の張本智和選手とラリーする福原愛さん

福原愛さん:
パリの代表選手は15歳とか、20歳とか、皆さん、若いなぁ。張本智和選手はかつて私も練習した仙台卓球センター出身。お父さんもコーチ時代から顔見知りです。卓球の強さは精神面が70%といわれるスポーツです。張本選手の卓球は常に積極的で、中国選手にも臆せず攻めていく。親戚みたいな気分で、本当にパリ五輪が楽しみです。

数多ある球技の中で、最も軽い卓球のボール。
重さはわずか2.7グラム、真白きボールには大きな夢と長い歴史と母子の物語がたっぷりと詰まっている。 

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佐藤 修
佐藤 修

産経映画社代表 Premier Movie Lab主宰 元フジテレビ報道スポーツデスク
報道スポーツディレクターとして記者活動35年
2019年“だから君を見つめてきた”で、上海国際テレビ祭ドキュメンタリー部門で優秀賞を受賞。日本スポーツ学会会員