五輪に4大会連続で出場した陸上男子200mの飯塚翔太 選手がパリでの自身のレースを振り返るとともに、競技場や選手村の様子、陸上勢が躍進した理由などを話してくれた。金メダルのやり投げ・北口榛花 選手のパワーの源や一部で不評とされた選手村の食事など興味津々だ。
「力は出しきったが及ばなかった」
4大会連続の大舞台、そして自身初のキャプテンとしてパリ五輪に臨んだ飯塚翔太 選手(33)。主戦場の200mは予選で敗れ、初の準決勝進出を目指し今大会から導入された敗者復活戦に挑んだ。
ただ、スタートからスピードに乗りきれず、4番手で直線に入る。得意の後半は伸びのある走りで追い上げたが、あと一歩伸びが足りずに4着でフィニッシュ。目標の準決勝進出は叶わなかった。
この記事の画像(11枚)試合後、飯塚翔太 選手は「結果を残したかったけど、毎回スタートラインに立つたびにありがたさと結果を残したい気持ちがどんどん上がってきて、本当に良い経験ができた」と、感謝の言葉を口にした。
飯塚翔太 選手:
4回も五輪に出させていただいて、回を重ねるごとに1回の重みを感じるようになってきたので、(試合後のインタビューでは)感謝の気持ちを話した。今回も力は出しきったが及ばなかった
パリは陸上が大好きな人が多い
ロンドン・リオ・東京・パリと4大会連続で五輪に出場した飯塚選手だが、パリではこれまでと違った体験をしたという。
飯塚翔太 選手:
(五輪では)あまりないことだがパリは午前中から会場が満員。それにメリハリがあってスタート前は観客が静かだか、スタートの合図とともにみな立ち上がって、陸上が大好きな人が多くてそれは印象に残った。走る方は幸せだと感じた
200mはカーブがあり、外側・真ん中・内側では走り方にも違いが出そうだが、どのレーンが好きか聞いてみた。
飯塚翔太 選手:
僕は一番外側の9レーンが好き。長身選手にありがちなのだが、(一番外は)遠心力が少ないので曲がりやすい。歩幅が大きいと(外側以外は)曲がりにくいこともある。タイム自体も1レーンよりも外側のレーンの方がよいタイムがでるという統計もある。五輪のシードレーンは6~8レーンで、それだけ外が有利だと思う
五輪4大会連続 初めて主将も
五輪4大会連続出場がどれだけすごいことか、改めて説明する。
陸上競技で五輪4大会連続出場できたのは、現スポーツ庁長官でアテネ五輪・金メダリストのハンマー投げ・室伏広治さんと、北京五輪の4×100mリレーで銀メダルを獲得した短距離の朝原宣治さんだけだ。飯塚選手はここに肩を並べていて、もはやレジェンドと言って良い存在だろう。
飯塚選手は「ここに加えてもらえるのはありがたいが、もっと増やしたいという気持ちもある」と、まだまだ意欲的だ。
パリ会では初めて陸上選手団のキャプテンも務めた。人生で初のキャプテンだそうだ。どんな役割を果たしたのか聞いてみた。
飯塚翔太 選手:
もともと自分が一番年上で(従来も)自然にそうなったが、今回は行く前に正式にキャプテンに指名された。現地で何かするというわけでもないが「みんなの支えになるような助言ができたら」という思いで(パリに)行った。若い選手からは試合の流れについて「いつもこんな感じですか」など相談を受けた
長く続けるモチベーションは?
飯塚翔太 選手の陸上キャリアを改めて振り返る。
飯塚選手は静岡県御前崎市出身で、小学3年生の時に陸上をはじめ、藤枝明誠高校時代に短距離種目でインターハイや国体で優勝し、中央大学に進学した。
オリンピックはロンドン・リオ・東京・パリの4大会に連続出場していて、リオでは4×100mリレーで銀メダルを獲得している。
飯塚選手は「当時はここまでやれるとは思っていなかった。目の前のことをやっていた結果、こうなった。ケガが多かったり結果がでなかったりしたことはあるが、そのたびにうまく這い上がってこられた。モチベーションを保ったリ、自分が這い上がれるような環境を自分で作ったり、日々高めあって競争したり、競争心を絶やさないでやっていたりなど、心掛けてやっている」と、長きにわたって第一戦で活躍できた理由を明かす。
パリで陸上勢が躍進した理由
日本代表が躍進を見せたパリ五輪は陸上でも印象的がシーンは多かった。特にやり投げの北口榛花 選手の金メダルが印象に残る。
飯塚翔太 選手:
会場で応援していたが(やりの)上がり方がすごかった。北口選手は体が柔らかくて、柔軟性を使って投げる時に体を反って、これがスキル的にはパワーの源らしい
100mではサニブラウン選手が準決勝で敗退したものの9秒96の好タイムを出した。日本の陸上勢が躍進した理由は何だろうか。
飯塚翔太 選手:
北口選手もそうだがグローバルに動いている。国際試合が多かったり、拠点を移したり。世界を感じながら生活しているのが大きいと思う。外に出て行く選手が増えた。僕が代表になりはじめの頃は(海外に)試合に行くのも珍しかったが、今は普通になってきた
柔道・橋本壮市選手と仲良し
飯塚選手が刺激を受けているのが静岡県浜松市出身の柔道・橋本壮市 選手だ。解団式で一緒に撮った写真を見せてくれた。
飯塚選手は「同じ年で1991年生まれの“91会”を開いていて、焼き肉などよく一緒に食事に行く。(Q.どんな話を?)競技のことはしゃべらなくて、覚えてないくらいくだらない話、仲いい友達とのたわいもない会話」と笑う。
鏡の前でユニフォームチェック
視聴者からも質問が寄せられた。
試合前にいつも行うルーティーンを尋ねられると、飯塚選手は「ルーティーンはユニフォームを着て鏡の前でチェックする程度。僕の周りの短距離選手でも少ない。日本での試合では2~3日前にウナギを食べる。勝負飯はウナギで、パリ大会でも日本を出国する前に食べた」と話した。
ところで食事といえばパリの選手村の食事が不評と一部で話題になった。
飯塚選手に聞いてみると「(選手村の食事は)普通でした。前回の東京五輪がおいしかったので、それと比較するとアレだけど、ロンドンやリオと比べると普通。チキンがかたいという人もいたが、僕にとってはお腹を壊さなくていいので安心感があった」と、食事に特に不満はなかったようだ。
37歳で5大会連続出場を目指し
視聴者からは、次の目標や将来的なビジョンについての質問も寄せられた。
飯塚翔太 選手:
まずは2025年に東京で行われる世界選手権にむけて準備する。2028年にはロス五輪があるので、できるところまで限界を極めて走り続ける。
(Q.ロス五輪の時は37歳ですが?)朝原さんがそのくらいでメダルを獲っていたので、それを見ているので。いま年齢もだいぶ上がってきて、特にマラソンは30代後半でメダルを獲る選手がいたり、短距離でもそういう傾向があるので自分次第かなと思っている
飯塚選手は帰国後1週間ほど休んでから練習を始めたそうだ。「練習が好き、体を動かしているのが好き。休みを7日間もらっても5日間で終わる。練習をすると気分がよくなる」とはにかむ。
2024年9月末の実業団対抗戦に出場し、10月には国スポに静岡県選手団として出場する予定だ。ちなみに国スポには高校1年から10回以上出ている。
飯塚翔太 選手:
2025年の東京での世界選手権で活躍する姿を見せるために練習をしっかり頑張るのと、陸上では初となる5回目の五輪出場を達成してメダルをとれるように頑張りたい
小学生から始めた陸上はまだまだ終わらない。37歳でロスを駆け抜ける飯塚選手の勇姿に期待しよう。
(テレビ静岡)