震災15年、宮城の地で見上げた「あの日の星」

会場となったセキスイハイムスーパーアリーナ(利府町)
会場となったセキスイハイムスーパーアリーナ(利府町)
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2026年3月、東日本大震災の発生から15年という大きな節目を迎えた宮城県。被災地が「第3期復興・創生期間」という次のフェーズへと歩みを進める中、利府町のセキスイハイムスーパーアリーナには、国内外から約6500人の観客が詰めかけた。人々の視線の先に立つのは、仙台市出身のフィギュアスケーター、羽生結弦である。

彼が座長を務めるアイスショー「notte stellata(ノッテ・ステラータ)」。2026年で4年連続の開催となった。
イタリア語で「満天の星」を意味するこのタイトルには、15年前の記憶が深く刻まれている。

2011年3月11日、壊滅的な被害を受けた街は、ライフラインの断絶によって深い闇に包まれた。当時16歳だった羽生が、避難所へ向かう道すがら恐怖と絶望の中で見上げた空には、輝く満天の星が広がっていたという。
その光に「希望」を見出した少年の記憶が、今や世界中から人々を惹きつける祈りの場へと昇華されている。

東北ユースオーケストラとの共演

東北ユースオーケストラとの共演
東北ユースオーケストラとの共演

今回のショーにおけるハイライトのひとつは、故・坂本龍一氏が創設した「東北ユースオーケストラ」との共演だ。宮城、岩手、福島の被災3県から集まった約50人の若手演奏家たちが奏でる生演奏に合わせ、羽生が氷上を舞う。

披露された演目の一つ『Happy End』や『八重の桜』は、坂本氏が東北の復興への願いを込めて作曲した。坂本氏が亡くなった後も、その精神を受け継いで活動を続ける10代、20代の奏者たち。彼らの奏でる瑞々しくも力強い音色と、羽生の一つひとつの所作が共鳴し、会場には言葉を超えた感情が満ち溢れた。

羽生は公演後の取材で「手足が震えるほど緊張した」と吐露したが、その滑りには、かつて被災した少年が大人になり、次の世代の希望を牽引しようとする確かな意志が宿っていた。

かつて坂本龍一氏は、音楽を通じて被災地の若者を支援し続けた。そのバトンが今、羽生結弦という稀代の表現者と、震災後に成長した若き奏者たちの手によって、新たな「復興の形」として表現の場を得た。

「防災」を日常に ペンライトが灯す備え

グッズのペンライトは懐中電灯として使える
グッズのペンライトは懐中電灯として使える

「notte stellata」が他のアイスショーと一線を画すのは、エンターテインメントの中に「防災意識」を組み込んでいる点だ。会場を彩る公式グッズのペンライトは、終演後にはそのまま懐中電灯としても使用できる設計になっている。
イベントグッズをその場限りの用途で終わらせず、防災意識にもつなげていこうという試みに、震災の経験を未来へつなげたいという羽生の思いが感じられる。

羽生は公演後のインタビューで、「僕らもその当時を知っている人間だからこそ、『こんなことがあったんだよ』『だからこういう風に守ることを学んだんだよ』というメッセージを伝え続けていきたい」と語った。
震災の記憶が風化しつつある15年目というタイミングだからこそ、あの日被災した彼の言葉には重みがある。

羽生結弦が氷上に描く「光」

ハビエル・フェルナンデスやジェイソン・ブラウンなど、世界のトップスケーターたちのほか、鈴木明子や本郷理華など、宮城ゆかりのスケーターが顔を揃えた今回のショーは、技術的な高さはもちろん、被災地から未来への希望を発信する物語として構成されていた。

15年という歳月は、風景を変え、人々の生活を変えた。しかし、羽生結弦が氷上に描く思いは、年を追うごとに鮮明さを増している。震災によってリンクを失い、「スケートを続けてもいいのか」と苦悩したあの日の少年は、今や被災地のみならず、世界中に勇気を与える存在となった。
「notte stellata 2026」は、震災は過去の悲劇ではなく、今もなお続く復興の物語の一部であることを示すアイスショーだった。

15年前、暗闇の中で輝いたあの日の星空は、今、羽生結弦という光を通して、未来を照らす確かな灯火へと変わっている。

仙台放送
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