1969年に完成した長崎駅前の高架広場は「交通渋滞解消と安全対策のため」に設置された。鉄道の歴史とともに多くの変化があった高架広場は、2023年11月にJR長崎駅前にアミュプラザ長崎新館がオープンし、姿を消すことになった。
再開発が続くJR長崎駅前の変遷に注目した。
時代の転換点を迎えている長崎
2023年11月10日、JR長崎駅前にはアミュプラザ長崎新館がオープンした。一方で、長年親しまれていた高架広場は姿を消し、駅周辺の景色は一変。長崎は時代の転換点を迎えている。
この記事の画像(11枚)その高架広場が完成したのは、テレビ長崎が開局した年の1969年6月だ。長崎国体を前に、長崎県が総工費3億4,200万円をかけて1,700平方メートルの高架広場を建設した。
当時、国鉄時代の長崎駅前はラッシュ時には歩行者もスムーズに通れないほどの混雑が発生していたため、交通渋滞の解消と安全対策などを目的に設けられた。
駅前高架広場の設置は全国初めてのことだった。
陸の玄関口「JR長崎駅」
1950年11月から長崎本線に愛称のついた急行列車として戦後初めて登場した新大阪行きの急行「雲仙」が、1980年、30年の役目を終えた。
当初は長崎 - 東京間を28時間で結び、最盛期には寝台券を求めて駅の窓口には徹夜組もできるほどの人気だったが、新幹線の開業やモータリゼーションの発達などで、運転区間が長崎 - 新大阪間に変更され、ついには姿を消すことになった。
さらに1985年、長崎 - 門司港間の夜行普通列車「ながさき号」も静かに引退した。このほか、「急行玄海」、京都 - 長崎を結ぶ「特急かもめ」、「準急ふたば」など数多くの列車が長崎本線を駆け抜け、そして姿を消していった。
国鉄長崎駅は1905年、九州鉄道株式会社の長崎駅として開業。1985年に、国鉄長崎駅が開業80周年を迎え、開業当時の駅舎の写真つきの記念入場券が販売された。
緑色の三角屋根の駅舎は、原爆で焼けた後の1949年に再建され、長崎駅のシンボルとして長年親しまれた。
1987年4月、国鉄の分割民営化によって「JR九州(九州旅客鉄道会社)」が発足し、列車の出発式など、新会社誕生を祝うイベントで盛り上がりを見せた。
その一方で高架広場では、国鉄民営化に反対する抗議集会も開かれた。
半世紀の間、長崎駅の顔として多くの人を迎え、送り出してきた三角屋根の駅舎だが、10階建ての複合商業施設が入る再開発ビル建設のため、1999年に解体が始まり姿を消した。
当時の駅舎は3代目で窓枠にはめられていたステンドグラスが長崎の旅情を掻き立てる観光のシンボルとして旅行客などに人気があった。
高架広場から多目的広場へ
翌年の2000年にはJR長崎駅の新しい駅ビル「アミュプラザ長崎」がグランドオープン。開業初日にはオープン前から2,000人を超える行列ができ、かつての三角屋根はドーム型の屋根へと姿を変えた。
2005年には長崎駅開業100周年を迎え、セレモニーが開かれた。そして、整備計画が決定してから約半世紀、長崎と佐賀県を結ぶ西九州新幹線が2022年9月23日に開業した。
そして2023年、新たなランドマーク「アミュプラザ長崎新館」が開業し、高架広場は「多目的広場」へと変わる予定で整備が進められている。2025年にはまた新たな姿として生まれ変わる。
“長崎のまちの顔”である長崎駅は、時代の流れや人々の生活とともに歩み、進化を続けている。
(テレビ長崎)