長崎の歴史をテレビ長崎に残る映像とともに振り返る「タイムトラベル長崎」。世界初の海上空港である長崎空港を取り上げる。長崎空港は大村湾に浮かぶ箕島(みしま)を埋め立てて建設された。小さな島にはかつて人々の営みがあった。
空港建設前66人が暮らしていた箕島
長崎・大村市箕島町にある長崎空港。長崎の中央に位置する大村湾に浮かぶ空港は、世界初の本格的な海上空港として、今から48年前の1975年(昭和50年)に完成した。

長崎空港は箕島を埋め立てて建設された。箕島は大村湾に浮かぶ周囲7kmの小島で、かつてこの地にも人々の営みがあった。13世帯66人がここで暮らし、小学校では全児童が一緒に授業を受けていた。

箕島で生まれ育った元島民の大島弘美さん(76)は、20代の時に島を離れた。父親から島での農業を引き継ごうとしていた頃だった。
元島民 大島弘美さん:
当時の特産物は「箕島大根」。青果用の大根ではなく加工用たくわん漬けの原料を作ってずっと先代から受け継いできた。暖かくて温暖な島だったので、本土の人たちに負けない農業ができていた
交渉の末、全島民がふるさとを離れる
66人が暮らしていた小さな島は1969年、空港建設の候補地に選ばれた。用地買収の話が上がると島民は猛反発。島外の人も巻き込んだ反対運動にまで発展した。

当時の映像には知事との交渉にあたる大島さんの父・誠さんの姿も映っていた。
元島民 大島弘美さん:
やっぱりショックを受けていた。親父の代で10代だった。10代続いてきて350年から400年前から続いた家だからここで絶やすことに非常に抵抗があったみたい。豊かな島を譲れないという気持ちは誰しもあったと思う

しかし3年後の1972年、全ての島民は立ち退きを了承。島民はふるさとを離れたのだった。
元島民 大島弘美さん:
(当時の)久保知事の心意気、知事は何回となく箕島に足を運び、同じ目線でひざを突き合わせて酒を酌み交わしたという話は聞いていた。心をほぐすのが何回となくされたんじゃないかと思う
箕島を忘れず長崎の発展願う
1972年に空港の建設工事が始まった。工事期間は約3年を要し、建設費180億円。紆余(うよ)曲折を経て長崎空港は完成した。

島民の生活と引き換えにできた長崎空港。島を離れた人たちはこの空港を長崎県の活性化の一助となることを願っていた。

ーー父・誠さんはどのように空港を見ていた?
元島民 大島弘美さん:
立派な空港ができたということで、これは箕島の人たちの犠牲、犠牲と言ってもいいのかな、協力があってのことなので、やはり県勢浮揚の一助にしていただきたいと常々言っていた。できるだけ「箕島での生活があったんだよ」と機会があれば話していきたい

空港の一角には慰霊碑が建てられている。島民の先祖を供養するために、空港が完成した5月1日には慰霊祭が行われている。今でも元島民やその子どもたちは毎年集まり、交流が続いている。箕島のことを忘れず、長崎の発展を願う気持ちは変わらないのだ。

観光県・長崎の玄関口として、離島を結ぶ生活のインフラとして年間約250万人が利用している長崎空港。空港の24時間化に向けた議論も進んでいて、期待はさらに膨らんでいる。
(テレビ長崎)