音声がない昔の映画にセリフをのせる「カツベン」が再注目されていて、10月28日に名古屋で開かれた上映会には100人以上が集まった。当時、一世を風靡(ふうび)した「カツベン」の成り立ちや、その後について調べた。
時代の流れで消えていったが、ライブ感で再び脚光
「カツベン」は「活動弁士」のことで、明治から昭和の初期にかけ、当時「活動写真」と呼ばれていた映画にあわせて、スクリーンの横で“生でナレーションをする人”のことだ。
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映画の上映中にナレーションが必要だった理由について、当時は海外から輸入したものが主流で、映像に字幕を載せる技術がなかったことや、フィルムに音声がなかったことがあげられる。明治や大正時代の映画は、音声がないのでセリフもなかった。
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昔のフィルムは映像だけだったが、昭和の初め頃になり、音声が付いた「サウンドフィルム」が出始めた。
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音声がない頃は、役者は「いろはにほへと」「ちりぬるをわか」「よたれそつね」などと言って、口の動きを収録していたという。
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この頃は映画が“憧れ”だった時代のため「カツベン」はスーパースター。語りだけでなく音楽もつけて観客を魅了し、「娯楽の王様」になった。
一世を風靡したカツベン士だが、昭和に入ってフィルムに音声が入ったり、洋画に字幕が入ったりするようになると失業に追い込まれ、時代の流れで消えていった。多くが、講談師やラジオのアナウンサーなどに転身した。
今も、カツベンを本業としている人もいるが、生活できる人はごくわずかだ。
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生の声と演奏がある「カツベン」は今、再注目されていて、10月28日に名古屋駅前のミッドランドスクエアシネマで開かれた上映会には100人以上が集まった。今後も定期的に上映会を行っていく予定で、2024年春にも開催が決まっている。
(東海テレビ)