長崎は2023年8月9日で原爆投下から78年を迎えた。原爆の恐怖や悲しみ、平和の在り方をアートで表現しようとする人たちがいる。戦前・戦後と生まれた世代が異なる2人に注目した。

世界平和を願う 約160点が集結

分けてもらった水で、乾きに乾いたのどを潤すことができた「あの日」の一場面。

この記事の画像(12枚)

これは被爆者の作品だ。

長崎市で開催された「ながさき8・9平和展」(2023年8月2日~6日・長崎県美術館)の会場には、平和を願う作者から集まった約160点の作品が並んだ。

戦後78年、この企画展が始まってから44年。時の流れは「変化」につながっている。

ながさき8・9平和展 上田清人企画委員:
絵描きの中には被爆を体験した人が多くいた。現在は亡くなられて、被爆した方は少なくなっている。若い人たちを含めて 世界平和を願う思いで取り組んだ人が大勢出品している。

83歳、「爆風」を描き続け

会場にあった大きな絵。作品のタイトルは「きおくのまち」だ。

無機質な建物群は時代の移り変わりを示し、中央には原爆によって大きく損傷した浦上天主堂が描かれている。手がけたのは長崎県・対馬出身の邑上好範さん(83※取材当時)だ。

邑上好範さん:
直接は原爆の体験はないが、空襲を体験した。

邑上さんは子どもの頃から原爆の話は聞いていたが、その威力と恐ろしさを実感したのは進学で長崎市内に住むようになった18歳の時だった。衝撃だった。

邑上好範さん:
爆風と熱線と放射能、恐ろしさが倍増する。こんなものが地球上にあるものか、人間が作り出したものかと思った。戦争は恐ろしい。

長崎の街を焦土と化した圧倒的な暴力をはらんだ原爆による「爆風」。全てを無にした「爆風」を邑上さんは描き続けてきた。

2001年の作品「風の記憶」。布をまとった家族が猛烈な爆風にさらされながら互いに身を寄せ合っている。

邑上好範さん:
人の気持ちが表せない。原爆資料館に行っても、原爆にあった人の気持ちがわからなかった。物的な資料、人的な資料もあったけど、心の被害もあったと思う。そういうことも描きたかった。

被爆の実相に触れ、衝撃を受けた日から60年余り。何枚ものキャンバスに絵筆を走らせるうち、邑上さんの中で「爆風」の描き方が変わってきた。

最近では 2人の子どもで表現するようになった。これが作品を通して平和を考え続けてきた邑上さんの83歳の到達点だ。

邑上好範さん:
戦争はだめ。でも今は戦争の方向に向いている。ウクライナ侵攻など。頑張って復興して新しい街が出来た。持ち直してきた。浦上天主堂はガレキみたいにも見える。無機質な街にしたくない。それが平和。

若い世代が描く平和

平和展の出品者の中には戦争を知らない若い世代もいる。

その中の1人、濵口龍さん(39)の作品は、禁教令が出された時代、弾圧を受けて処刑されたキリシタンの家族を描いた。価値観の違いから命を奪う、そんな争いを繰り返してはいけないと訴えている。

濵口龍さん:
江戸時代はキリシタン=悪という感じ。武力で制圧しようとしていた。信者は武力で対抗していたわけではない。どうすれば平和にできるか考えた。平和的に解決できることはたくさんある。話し合いだったり、それが自分のなかでの平和。

これまでは被爆者が中心だった作品展は、若い世代の作品に変わっている。テーマも多様になり、作品の中には日常の風景などで、自分が身近に感じる平和を描いている人も多くいた。

ながさき8・9平和展 上田清人企画委員:
平和の感じ方、捉え方、自由さがとても大事なこと。それぞれの思いをゆっくりと鑑賞してほしい

作品制作や鑑賞をきっかけに原爆や平和について考えることに時代や世代は関係ない。平和展のあり方も変化の時を迎えている。

(テレビ長崎)

テレビ長崎
テレビ長崎

長崎の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。