長崎は2023年8月9日で原爆投下から78年を迎えた。写真に託した被爆者の意思を引き継いだ、被爆三世の写真家の男性がいる。その被爆者は、被爆後の写真の収集・調査に全身全霊をかけた。突き動かしたのは生き残った者の使命感と罪悪感だった。

写真を通して“被爆者の現実”伝える

被爆三世で写真家の草野優介さん(35)。この日は自分のスタジオで撮影を行っていた。

写真家の草野優介さんは被爆三世
写真家の草野優介さんは被爆三世
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瞬間の魅力を切り抜くのは何年たっても難しいと話す。

写真家・草野優介さん:
表情を引き出すということと、その一瞬を逃さないように、声をかけながらいつでもシャッターを押せるようにしている。私も口下手なのでまだまだ勉強中だが

7月、草野さんは長崎市で個展を開いた。被写体は被爆者で、2023年に亡くなった深堀好敏さん。草野さんは10年以上にわたり深堀さんを撮りだめてきた。

写真家・草野優介さん:
被爆継承の取り組みを地道に続けてきた被爆者がいるんだということを、いろんな人に知ってもらいたい

原動力は「使命感と罪悪感」

被爆者・深堀好敏さんは2023年5月に、入所していた長崎市内の施設で息を引き取った。94歳だった。

深堀さんは16歳のとき、爆心地から約3.6kmの長崎県疎開事務所で学徒動員中に被爆した。

1979年から被爆者の有志6人で被爆後の写真の収集・調査を開始。写真を通して長崎原爆の記録と記憶を後世につながなくてはいけないと、強い信念のもと活動していた。その思いは80歳を超えても衰えることはなく、アメリカの国立公文書館でも収集を行った。

2017年の平和祈念式典では、公募で選ばれた初めての被爆者として平和への誓いを読み上げた。

被爆者・深堀好敏さん:
ようやくたどり着いた山王神社近くの親戚の家は倒壊していました。その中で家の梁(はり)を右腕に抱きかかえるような姿で18歳の姉は息絶えていました。原子雲の下で起きた真実を伝える写真の力を信じ、これからも被爆の実相を伝え、世界の恒久平和と核廃絶のために微力を尽くすことを、亡くなられた御霊の前に誓います

深堀さんの死後、自筆のメモが見つかった。そこにつづられていたのは「使命感と罪悪感」だった。

「写真の検証作業は死者たちとの対面であり、助けを求めた人たちを助けられなかったしょく罪であり、祈りながらの作業である。決して楽しいものではない」

この想いこそが、深堀さんを突き動かしていたのだ。

写真家・草野優介さん:
深堀さん自身が80歳くらいで一度引退しようかなと考えたときに、夢の中に原爆で亡くしたお姉さんが出てきて「生き残った者ができることをもっと頑張らないと」と𠮟咤(しった)されたというエピソードをよく覚えている

草野さんは大学時代、当時の研究をきっかけに深堀さんと知り合った。2014年から本格的に調査を共にするようになり、考えや姿勢を間近で学んできた。

深堀さんが16年にわたって部会長を務めていた写真資料調査部会が毎年7月に開く写真展「ナガサキ原爆写真展」。2023年は深堀さんの功績をしのぶコーナーが設けられた。

写真家・草野優介さん:
深堀さんは生き残った者として自ら率先して、先頭に立って動いていく人だった。こういった資料が原爆のことを伝えるために大事になってくる。資料を活用して伝えていかなければいけない

東京の大学生:
写っている人の気持ちを見ている人に届けられるような展示や資料を残していくことが、私たち若い世代の使命だと思った

「原爆は使ってはいけないもの」

草野さんは2021年、被爆講話を一方的に聞くのではなく、子どもたちが被爆者に質問し自分たちから話を聞くスタイルのワークショップを立ち上げた。

若い芽を育てる活動が、深堀さんから託されたバトンを生かすことにもつながると草野さんは考えている。

写真家・草野優介さん:
原爆の悲惨さを知れば、核はいけないものだ、原爆は使ってはいけないものだとわかるはず。それを写真や映像を通して、実相や正しい知識を世界中の人に伝えたい

被爆者なき時代が近づく中、被爆の実相を伝える写真の価値はこれまで以上に高まる。
深堀さんが撒いた種をどう育てていくか。その役目は若い世代に引き継がれた。

(テレビ長崎)

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