長崎は2023年8月9日で原爆投下から78年を迎えた。被爆者がいなくなる時代を見据えて、被爆の実相を伝える記録や資料、被爆者の記憶をつなごうと動き出した人たちの思いを追った。

被害を後世に伝える“被爆資料”を公開

RECNA / 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館 ※Photoshopのニューラルフィルターを使用して、カラー化したもの
RECNA / 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館 ※Photoshopのニューラルフィルターを使用して、カラー化したもの
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家族だんらんの場や旅先での思い出の1枚。1930年代から1940年代に長崎県内で撮られた写真だ。

長崎大学核兵器廃絶研究センター・RECNA 特任研究員 林田光弘さん
戦時中は今と全然違うところもあった。不自由な状況の中にも当然、明日は何して遊ぼうかなとか、きょうの夜ご飯何かなとか考えていた子どもが生きてたってことはきちんと知っていてほしい

RECNA / 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
RECNA / 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館

RECNA(長崎大学核兵器廃絶研究センター)の特任研究員・林田光弘さんは被爆前の日常に焦点を当て、当時の写真と証言を組み合わせた動画や教材を製作し、2023年の春にウェブサイトで公開した

RECNA / 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
RECNA / 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館

公開された「航空写真アーカイブ」は、米軍が撮影した長崎市の航空写真をつなぎ合わせていて、原爆投下前の8月7日と、投下後の9月7日を見比べることができる。平和について考えてもらおうと、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の委託を受けて進めている。

「戦争の時代のできごと」を自分事に

7月、航空写真を活用したフィールドワークが初めて開かれた。

親子連れなど21人が参加し、タブレットの画面で写真と目の前の街並みとを照らし合わせながら歩いた。

長崎大学核兵器廃絶研究センター・RECNA 特任研究員 林田光弘さん
よく見ると建物、窓が写っていて…ここに石垣や林みたいなのがあって、全く同じ構図なんです

RECNA / 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館

地図には周辺で撮影された被爆前の写真も載せていて、原爆が奪い去った日常を伝える。

参加した男の子:
(学校では)原爆の恐ろしさを知って平和の大切さを知ることだったけど、今回は原爆が落ちる前と落ちた後を比較するからすごく分かりやすかった

参加した女性:
被爆前の日常を見ることで、より悲惨さが伝わってきた

RECNA / 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
RECNA / 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館

活用の場は教育現場にも広がっている。2023年に初めて長崎市内の小中学校で、被爆前の写真を活用した教材を使って平和や核兵器について考える授業が行われた。

長崎大学核兵器廃絶研究センター・RECNA 特任研究員 林田光弘さん
戦争の時代のできごとを学ぶときに違いを見つければ見つけるほど、「自分たちとは違う人たちだった」という感覚が強くなってくる。戦争がウクライナで今起こっているのと同じように、どの国がいつ戦争に巻き込まれるか分からない

授業では教材を使って被爆前の生活や学校生活などを紹介。戦時中にキックスケーターがはやっていたことや、今とあまり変わらずおしゃれを楽しんでいたことなど、子どもたちは被爆前の写真から、今の時代を生きている自分たちとの「共通点」を見つける。
原爆や戦争を「過去のできごと」ではなく、今と結びつけて考えるためだ。

授業を受けた児童:
おしゃれをしていろんなところに行くのは、今と変わらないなと思った

授業を受けた児童:
戦争がない世界がいい

RECNA / 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
RECNA / 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館

長崎大学核兵器廃絶研究センター・RECNA 特任研究員 林田光弘さん
破壊されたものだけ見ても自分事になっていかないと思う。写真とどういうエピソードを組み合わせることによって、何が伝わるのかという部分がすごく大事なんだなと思う

「資料と持ち主の記憶」どうひも付けるか

伝え方の模索は、開館から27年たった長崎原爆資料館でも続いている。

長崎原爆資料館・井上琢治館長:
被爆者がいない時代が確実に近づいてきている。今後、時代を担う若者に何を伝えていくべきか、どう伝えていくべきか、これからの非常に大きな課題と認識している

この日、大学生たちが講義の一環で、資料館が抱える課題や解決策を話し合った。

長崎大学環境科学部2年・岩山晃子さん:
歴史を伝えることがメインだからそうなのかもしれないけど、私たちが生きるのは過去じゃなくて未来じゃん?どこか自分事にできない距離を感じる

中国からの留学生:
(原爆による)悪影響を伝えた方がいい。そうじゃないと「私と関係ないから分からない」ってなる

初めて原爆資料館を訪れた中国・ハルビン出身の留学生は、特に印象に残ったものに「女子学生の弁当箱」を挙げた。

原爆の影響で黒い墨になった「女子学生の弁当箱」
原爆の影響で黒い墨になった「女子学生の弁当箱」

中国人留学生:
弁当箱の中の米が黒い炭になって、(原爆が)人に対してどれくらい大きい衝撃を与えたのか想像できない。14歳、私よりも小さいのに戦争で命をなくしたのは怖い

持ち主について情報があると気持ちを寄せやすい、との声も聞かれる。

長崎大学環境科学部2年・今岡明日美さん:
持っていた人の写真があって米の実物がそこにあるから、この人がこれを食べていた学生生活を送っていたのがリアルに伝わってくるのは、ほかの(資料)と違ってあるかもしれない

「顔が見える展示」に向けて、長崎市は2022年から寄贈した人や家族への「追加調査」を始めた。調査を反映した企画展では、資料と共に持ち主や家族の写真のほか暮らしぶりなどが分かるエピソードが添えられている。

長崎原爆資料館 学芸員・後藤杏さん:
(常設展示では)物から原爆の物理的被害を語るというのに焦点が当たっている気がして。実際に被爆されたのは人間なので、どう被爆したのか、戦後に悲しみとか苦しみを背負って生きてきたので、そうしたことを含めて被爆の実相を継承していくことが今後は重要になってくるのかなと思う

被爆者の証言を記録している「長崎の証言の会」も被爆者運動の資料の収集や整理を進めていて、ここ数年が被爆者と一緒に考えられる「ラストチャンス」としている。

長崎の証言の会・山口響事務局次長:
被爆者という人間が亡くなっても資料は残る。しかし、資料は置いておくだけでは何かを語ることはない。原爆資料館が所蔵している資料を豊かにしていくことが、被爆者がいなくなった後の時代を考える上でも非常に重要になってくる

そこにあった日常、そこにいた主(あるじ)。原爆が奪ったものを伝える被爆資料の活用が本格化する中で、持ち主の記憶をいかに資料に結び付けられるかが今後の課題だ。

(テレビ長崎)

テレビ長崎
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