3月22日から世界フィギュアスケート選手権が開幕する。
18歳のイリア・マリニン(アメリカ)は、去年この大会でショートプログラム100点台を出し、好発進するもフリーで崩れてしまい9位と悔しさを味わった。
両親ともに五輪出場経験があり、元フィギュアスケーターというサラブレッドは、SNSで自らを「quadg0d(クワッドゴッド・4回転の神)」と名乗り、水筒にも“神”の文字が記されている。

異次元の高さと回転速度のある4回転アクセルを武器にする彼の挑戦の原点と、世界選手権への意気込みに迫る。
スケート靴に「アイスホッケーのひも」
2022年9月、世界に衝撃が走った。USクラシックでマリニンが4回転アクセルを世界初成功させたのだ。
昨シーズン、羽生結弦が挑戦し続け、北京五輪でもチャレンジした憧れのジャンプを当時17歳の少年がシーズン初戦で出来栄え点1.00の完成度で決めてみせた。
そして、今シーズン、マリニンの勢いは止まらない。
GPシリーズ初出場となった母国開催のGPスケートアメリカでは、ショート4位からフリーで4回転アクセルを成功。194.29点 のハイスコアをマークし、合計280.37点で逆転。初優勝を飾った。
続く、GPフィンランド大会でも優勝を果たし、GPシリーズ2連勝で初のファイナル進出。そのGPファイナルでは、ショートで崩れてしまい5位になるが、フリーで再び4回転アクセルを成功させたマリニンは、日本の宇野昌磨、山本草太に次ぐ3位となり表彰台にのぼった 。
そして、1月の全米選手権で初優勝を果たすなど、世界選手権でも日本の最大のライバルになる存在だ。

2月に彼の練習場所ワシントンD.C.近郊のアメリカ・バージニア州にあるスケートリンクを訪れると、コツコツと基礎練習を積み重ね、演技の完成度を高める姿があった。
練習前、スケート靴を履くところを見ていると、時折汗を拭いながら結んでいたマリニン。
器用に手早く結ぶ選手が多い中、不思議に思い足元を覗いて見ると、通常よりも太いアイスホッケー用の靴ひもを使用しているのに気がついた。

「切れにくいです。フィギュア用の靴ひもはすぐに切れてしまい交換する必要があります。試合で滑るときの靴には青いカバーがかかっているので靴ひもが見えませんが、アイスホッケー用のをつけています」
4回転アクセルをはじめとする、4回転ジャンプはスケート靴に強い負荷がかかるため、耐久性の高いアイスホッケー用の靴ひもを使用しているという。

さらに最初のスケーティング練習では、重りをつけて数十分滑り続ける姿があった。
バランスを保つために付けているという重りは「腕は3ポンド、足は5ポンド」。両手・両足に7キロ以上の重りをつけているマリニン。
「他のスケーターより重いです。重りを外した後に軽さを感じて、腕や足の上げ下げが簡単に感じることができます」と、これが安定したスケーティングにつながると話した。
大切なのは「心の準備を整えること」
そんなマリニンの4回転アクセルのはじまりは2019年1月。ハーネスを使った練習で手応えを感じたという。
そのときは「練習をすればハーネスなしでも着氷できるかもしれない」と思ったようだが、自信がつくまでは4回転アクセルの基礎となるトリプルアクセルの練習を続けて、その数年後に初めて挑戦した。
今となっては、最大の武器4回転アクセル。羽生も挑み続けた大技を世界で初めて成功させているマリニン。
そのきっかけは羽生だった。2022年の北京五輪での4回転アクセル挑戦に感化されたという。

「僕にとっての4回転アクセルは自分自身への挑戦です。羽生さんに刺激を受けて練習に取り組むことができるようになりました。北京五輪で初めて着氷することを祈っていました。彼が僕にひらめきを与えてくれて、それが僕の練習に役立っています」
そして、2022年5月にマリニンは初めて着氷させると、今シーズンはすべての試合で挑み、高い着氷率を見せている。

マリニンいわく、4回転アクセルの踏み切りで最も大切なのは「心を整えること」。
「4回転に限らず、どのジャンプも自信を持って踏み切らないとうまくいきません。自信を持つ以外では、メンタルの壁を乗り越えないといけません。4回転ジャンプに必要な身体能力があっても、多くの選手はメンタル面で苦しむ。これが最も大事なことだと思います」
アクセルジャンプは前を向いて踏み切るジャンプ。そのため「怖い」と恐怖心を抱く選手もいるが、「個人的にはあまり怖くない」と話す。
「前を向いて踏み切るので、ジャンプする方向が見える。ルッツやフリップは後ろ向きなので何が起きるかわからない。個人的にはアクセルが一番怖くない」
世界選手権では6本の4回転に挑戦
こうして誕生した“4回転の神”。
「クアッドゴッド」という名前をSNSのユーザーネームに選んだ理由は「これを励みに、すべての4回転成功を目指そうと思った」からだという。

このアクセルだけでなく、マリニンは6種類 (アクセル、ルッツ、フリップ、ループ、サルコウ、トゥループ)すべての4回転を跳ぶことができ、世界選手権では6本の4回転に挑戦することを明言している。
今シーズン、すべての試合で4回転アクセルに挑んでいるが、ここまでの戦いをマリニンは「とても良いシーズンを過ごせている。ここまでできていることに誇りを感じていて、今シーズンに滑ったプログラムで達成したすべてのことに満足している。4回転アクセルを跳べたことも含めて満足で、昨シーズンからどれだけ進歩したか示せました。大きな成長です」と振り返る。

「4回転アクセルを初めて着地できたときは、間違いなく自分の夢がかなった瞬間でした。羽生さんは僕にインスピレーションとモチベーションを与えてくれました。機会があれば、いつも彼の演技を見ています。僕の4回転アクセルのスタイルを開発するのに、本当に学びがありました。成功できたのは彼が大きな理由であると言えます。僕の4回転アクセルは安定してきて、簡単に跳べるようになってきています」
そう語ったマリニンは「4回転アクセル+オイラー+3回転サルコウ」のコンビネーションを練習で決めた動画もまた話題になっている。その可能性はまだまだ無限大だ。
ミスなく滑ることでメダルはついてくる
去年の世界選手権は「期待通りの結果ではなかった」と語るマリニン。
「ショートはすばらしかったです。ミスなしで滑れて、自分にとっても今までで最高のショートの1つでした。フリーでは予定通りにいきませんでした。ミスを振り返って、何が間違いだったのか、なぜそれが起こったのかを確認したので、シーズン全体で同じミスが再び起こらないように改善するために多くの時間と労力を費やしたので、世界選手権への準備はできています」

今年は日本のさいたまスーパーアリーナで開催される世界選手権。
マリニンは「日本での開催はとても楽しみ。日本は大好きです。食事、文化、建物も大好き」と日本に行くことを楽しみにしていた。
「目標の一つは自信を持って観客のために滑ること。日本人は熱いフィギュアスケートファンが多いのでミスなしのプログラムを見せられるように準備をしています。僕のユニークなプログラムでみんなを楽しませたい」

シーズン前の夏には「不安な状態」だと語っていたマリニン。
今シーズン、満足な状態を維持できている彼に「世界王者になる自信は?」と聞くと、「間違いなく今、最高の精神状態に到達する過程にいます。最高の状態を保ち、技術面でも良いパフォーマンスができるように準備しています」と自信を見せた。
「フリーもショートもミスなしで滑ること。ミスがなければ5位以内、または表彰台に立てると思います。僕に課された仕事は2つのプログラムをミスなしで滑ることです。それができればメダルという結果がついてくる。良い精神状態を保ち、焦らないでプログラムに集中できることができている。2つのプログラムをミスなしで滑り終えたら、メダルのことを考えます」
注目の海外勢3選手をピックアップ
キーガン・メッシング(カナダ)は、5大会連続5回目の出場だ。
2大会連続の五輪代表で、高い身体能力を活かしたアクロバティックな演技が魅力な選手。今年1月に次女が誕生し、2児の父親となった31歳のベテランスケーターは、キスアンドクライで子どもたちの写真を見せるのが恒例のパフォーマンスになっている。

メッシングは、今シーズン限りでの現役引退を表明。その後はプロスケーターの道や消防士への転身を公言している。
そんな最後のシーズンは、GPシリーズ2戦に出場。1月のカナダ選手権では2位と20点差以上をつけて優勝し、最後の国内選手権を2連覇で飾った。
2月の四大陸選手権では、フリーで28年間のキャリア最高得点を出し、初の銀メダルを獲得して、会場を大歓声と拍手で沸かせた。現役最後の世界選手権ではどんな演技を見せてくれるか。
2大会ぶり5回目の出場となるジェイソン・ブラウン(アメリカ)。
日本語が堪能なブラウンは、2度の五輪代表、四大陸では2度のメダリストに輝いている。
柔軟性を活かした見事なバレエジャンプや多彩な表現力が魅力の28歳。4回転ジャンプがないプログラムでも上位に食い込む実力者だ。

2022年の北京五輪に出場すると、その後は大会に姿を見せず、今シーズン初戦となった1月の全米選手権ではマリニンに次ぐ2位に。
本人もうれしいと語る日本開催の世界選手権は、「美しい演技」で初めてのメダル獲得を狙う。
かわいらしいルックスでアイドル的人気を誇る21歳の韓国のエース、チャ・ジュンファンは、4大会連続4回目の出場だ。

今季はGPシリーズ2戦に出場し、ともに3位表彰台にのぼった。韓国選手権では、国内参考記録ながらショート100点超えをたたき出した。
2月の四大陸では音響トラブルなども影響し、4位で連覇を逃してしまう。去年の世界選手権ではショート後に棄権してしまったが、今年は初めての一桁順位を目指している。
3月22日から開幕の世界選手権。女子は坂本花織、三原舞依、渡辺倫果、男子は宇野昌磨、山本草太、友野一希、ペアは三浦璃来・木原龍一組、アイスダンスは村元哉中・高橋大輔組が出場する。
世界フィギュアスケート選手権2023
3月22日(水)から4夜連続で生中継
https://www.fujitv.co.jp/sports/skate/world/index.html