家内はお医者さんに覚悟してくださいって言われたって。本当危なかったみたい

そう自身の闘病生活を振り返るのは、小倉智昭さん(75)。2021年3月末に22年間、総合司会を務めた朝の情報番組『とくダネ!』が終了し、その年の10月に以前(2018年)手術を受けた膀胱がんが肺に転移したことを公表した。

これまでお茶の間におなじみの顔として、テレビの第一線で長きに渡って活躍してきた生活から一転、現在闘病生活を送る小倉さんに、現在の状況や心境について伺った。

肺への転移は『とくダネ!』終了前から分かっていた

ーー2021年3月にとくダネ!を卒業されてからは、どのような生活なのでしょうか?

「卒業してから何をやっていますか?」と聞かれると困るんだよ、病院に行くか家にいるかみたいな生活だからね。少しでもしゃべれる機会があればやりたいんだけど、体が言うこと聞かなくてね。
 

小倉さんは2016年に早期の膀胱がんであることを公表し、その2年後に膀胱を全摘出。そして、2021年『とくダネ!』が終了した約半年後に、肺への転移を公表した。『とくダネ!』終了までの道のりは、小倉さんにとっては暗中模索状態であったそうだ。

とくダネ!が終わる前から肺への転移は分かっていたという
とくダネ!が終わる前から肺への転移は分かっていたという
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「実は、恐らく肺へ転移しているっていうのは、公表するだいぶん前、『とくダネ!』が終わる1年以上前から分かっていたんですよ。色んな方法で調べても出てこなかったから、いずれは生検検査といって、背中から針刺して、がんの組織があるかどうか調べなきゃ駄目ですねっていう話はしていた。

ただあまり進行していなくて、生活や仕事にも差し障りないから仕事はやれる。それでも、もしものことがあって入院するということになったら、申し訳ないけどそこで幕引きにさせて下さいっていう話は番組ともしていたの。そしたら、なんとか年を越して春までもったので、そこで22年間お世話になりましたと、辞めさせてもらったというのが経緯です」

こうして22年の歴史に幕を下ろした(写真は最終日スタッフから手作り金メダルのプレゼントを受け取った小倉さん)
こうして22年の歴史に幕を下ろした(写真は最終日スタッフから手作り金メダルのプレゼントを受け取った小倉さん)

がんステージ4の宣告…始まった抗がん剤治療

ーーその後の経過はどのようなものだったのでしょうか?

痛い思いをして生検をしたら、膀胱がんの時と同じ組織があって、「ステージ4になります」って。要は宣告されたわけでしょ。普通、もって2年半か3年くらいって言われて。驚くよね、突然そう言われたら。

小倉さんによると、膀胱がんは進行が速く、転移し始めると、脳や肺など体の重要な部分を侵すそうで、医師と相談の結果、2021年9月から遂に抗がん剤治療を始めた。副作用なども含め、小倉さんは大きな不安を抱えていたと語る。

抗がん剤治療を始めるにあたり、大きな不安を抱えていたという
抗がん剤治療を始めるにあたり、大きな不安を抱えていたという

「最初は2種類の抗がん剤治療を点滴して、約1カ月休養してもう一度やるっていうのを繰り返した。僕の場合はその時74歳だったから、年齢的にも抗がん剤は強いから2クールくらいが限度って言われていた。若くて強い人でも3クールと言われている中、なんと4クールやれたんだよ。

ただ、その治療ではがんは小さくならなかった。そこで、別の治療法が膀胱がんに効きそうだからといって始めてみた。そしたらお医者さんが『凄く効いたかもしれない。更に小倉さんはあまり副作用がないので安心してできるって』。 

そしたら4回目が終わってCT撮ったら左右の肺は綺麗になっていて、お医者さんが見てもどこに癌があるか分からないくらい効果があったんですよ」

どこか嬉しそうな表情で治療の効果を語っていた小倉さんだが途端に表情が曇った。

体調が急変、緊急入院「覚悟してください」と宣告

「実は去年の夏頃から、凄い体調が悪くなってきて、副作用がこれまで1回も無かったのに、苦しくて、歩いていても動悸が激しくなってね。そうしたら、腎臓の数値がもうアウトっていうくらい突然ドーンと下がって、慌てて緊急入院した。

そこから初めの1週間くらい、僕は記憶がない。もう意識ももうろうとして、家内は医師から『覚悟してくださいって』言われたらしく、本当に危なかったみたい」

意識がもうろうとする中、奥さまは医師から「覚悟してください」と言われ…
意識がもうろうとする中、奥さまは医師から「覚悟してください」と言われ…

そんな中、生死をさまよう状況だった小倉さんだが、緊急入院中にはある体験をしたという。

「臨死体験みたいなのをしましたよ誰だか分からない色んな人が、橋を渡って迎えに来るの。俺は行かないって言ったんだけど、今となっては笑い話だけど、本当にこういうのって見るんだって驚いたよね。何とか戻ってきたけど、大変だよ。病気なんてやるもんじゃないね」

さらに小倉さんは、奥さまとのエピソードについても話してくれた。

「俺が死にかかった時、うちのかみさんのテーマは“僕の膨大なコレクションをどうしようかって”(笑)。俺、変なマニアだから色んなものがあるわけで、“遺品整理に出しちゃうかも”って言われて、ダメそんなことしたら!って言ったけど(笑)。

この前、事務所の整理するので荷物整理して、必要ない資料とか、大事なものとかを段ボールに入れて処理してもらったんだけど、2トン車が2回必要だったからね。色々コレクターとして、一生懸命集めてたから、本当これに関してはどうするか、悩んでるんだよね(笑)」

奥さまのエビソードを話し笑う小倉さん
奥さまのエビソードを話し笑う小倉さん

ーーこれまでの生活から一転して、闘病生活を通して感じたことはありますか?

僕は運良く自分で見つけて、先生に相談して早くにがんだということが分かったけど、68歳の時だからそれからもう7年経つんだよね。あっという間でしたよ。

「自分だけは、がんにはならない」って言う人もいるけど、お医者さんの言うことを素直に聞いて、検査とか行って、タバコはやめるとか、自分の出来る範囲でやれることはなるべくやらないとだめだって、今になって思いますよ。

元気に見えるけど“歩けない”

闘病生活が続く小倉さんだが、自身の体調について、世間の印象とのギャップを感じ複雑な心境になることがあるという。

「実は今、腎臓の数値がまだかなり悪いから歩けないんですよ。自分ではもうちょっと歩けるはずだって思うんだけど、100メートルくらい歩くとヘロヘロになって歩けなくなっちゃう。

ただこうやって話していると、元気に見えるでしょ?テレビのインタビューを受けるとバストショットで話しているから、みんな『小倉さん、がんなんて嘘じゃないの?』って。ラジオで聞いて、『小倉さん、今の方が声に張りがあるよ』とか、適当な事言うんだよ。

でも、ご近所の人は僕が歩いている姿を見て、『小倉さん大丈夫ですか』って声かけてくれる人がいて、やっぱり気が付く人はいるんだなと思うよね」
 

テレビなどで見かける小倉さんを見て、いつも通り元気そうな印象でどこか安堵している部分があったが、実際は今も壮絶な闘病生活を送っている事実を知り、驚いた。

後編では、小倉さんの感じる「今のテレビ」について、そして「これからの新たな挑戦」について聞く。

【取材・執筆:フジテレビアナウンサー 木下康太郎】

木下康太郎
木下康太郎

フジテレビアナウンサー。
神奈川県横浜市出身、上智大学卒。
2010年フジテレビ入社。
主に情報、報道番組を担当。
とくダネ!、知りたがり!、めざましテレビ、めざましどようび、グッディ!を担当し、現在は日曜報道THE PRIME・情報キャスター。
厚生労働省・国交省の記者も兼務している。