「カタールで本田圭佑くんから言われた一言は、かなり響きましたね」

2022年12月24日に引退を発表し、17年間の現役生活の幕を下ろした、元サッカー日本代表・槙野智章(35)。

その2日後に行った会見は“引退会見”ではなく、“槙野劇場第二章開幕宣言”という位置付けであった。

”槙野劇場第2章開幕宣言””と題した会見(本人インスタグラムより)
”槙野劇場第2章開幕宣言””と題した会見(本人インスタグラムより)
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前編では、これまでいかに自らのセカンドキャリアから逆算して、現役生活を送っていたかを話した槙野。

後編では、これからの目標でもある“監督業”に向けて、今何を考えているのか、彼の第2章の人生について聞いた。

槙野は会見についてこう振り返る

「“やめる”という表現をしたくなかったんです。実はカタールワールドカップ(W杯)の現場で、本田圭佑くんに引退することを伝えたとき、『なんで引退宣言するの?』って言われました。最初は『この人は何を言ってるんだ』って思いましたよ(笑)。でも今となっては凄くその言葉の意味が分かりますね。

僕は自分がやめるということよりも、『自分がこれから何をしたいか』をしっかり伝える場にしたかった

これまでのアスリートの引退会見というのは、基本的にメディア側とペン記者さんと質疑応答で広げてもらって答えるという形式が多かったけど、まず自分がなぜこういう考えを持って、答えを出したのかを自らプレゼンする方式でやりたかったんです」

次の目標である”監督”について熱くプレゼンを行った(本人インスタグラムより)
次の目標である”監督”について熱くプレゼンを行った(本人インスタグラムより)

――これまで芸能、ファッションなど多方面でご活躍されていて、色んな可能性がある中でどうして監督業を最終的に選択したのでしょうか?
やはりサッカー選手の時よりも輝けるものは何かと考えて、色んなものを天秤にかけた時に、僕の中では明らかに“監督業”でした。

例えばテレビだと、自分はサッカー選手の枠の中ではちょっと喋れて面白いかもしれませんが、命をかけて本業にしている人には、勝てないですよ。しかも現役の時はゲストとして扱ってもらって、周りが話を広げてくれていましたからね。

あと、ファッション界でも凄いファッショニスタがいる。それらの分野ではやはり自分はたくさんウィークポイントがあるんです。

浦和レッズ時代の槙野(本人インスタグラムより)
浦和レッズ時代の槙野(本人インスタグラムより)

じゃあどこで自分が一番輝けるかってなると、それはピッチなんです

僕はサッカーの畑で、自分より面白いアイディアを持って、吹っ飛んだ考えを持った人はいないと思っている。そしたら自分にしかない色を出せて、選手の時よりも輝けるのは“監督”しかないと、自分の中で分析した結果そういう結論になりました。より自分の価値が高まっている時にやりたいですね。

改めて感じたメディアの力を監督業に

現在、日本のサッカーにおいてプロ(代表・Jリーグ選手)を指導するためには、“S級”コーチというライセンスが必要である。

現在槙野はその取得を目指しているが、早くてもあと2〜3年かかる。そこでその期間を、サッカー全体を俯瞰する経験に費やしたいと活動している中、選手時代とは違った目線で気が付いた事があるという。

引退後は、カタールW杯など、様々な大会で解説・レポーターを経験(本人インスタグラムより)
引退後は、カタールW杯など、様々な大会で解説・レポーターを経験(本人インスタグラムより)

「昨年のカタールW杯に選手ではなく、レポーターという伝える側で携わらせてもらいました。これまでとは真逆の立場で経験して、感じたのは“メディアの力”です。『サッカーは興味ないけど、W杯だから見る』という人達がたくさんいました。睡眠時間を削ってまで、サッカーにのめり込むようになったのは間違いなくメディアの発信力です。

近年テレビでサッカーが取り上げられなくなってきて、僕も知り合いのテレビ関係者に取り上げて欲しいと何度も言ったけど難しかった。でも今回W杯がきっかけで、朝の情報番組などでサッカーを取り上げているのを見て、メディアの発信で色んな人が引き込まれたことを体感しましたね」

更にメディアに出たことで、身近なところで変化もあったと笑う。

「自分もこれまでサッカーは頑張ってきた方だと思っていましたけど、カタールから帰国してマンションですれ違った女性に『槙野さんってサッカー選手だったんですね』って言われた時はやはり、メディアの力は凄いなと(笑)。これを監督になった時に活かさない手はないなと思いましたよ」

理想の監督像は北海道を盛り上げ続ける男

サッカー界には名将と呼ばれる監督が数多く存在するが、槙野の理想の監督像は、メディアを上手く活用し、音楽でいう指揮者のように、自分の動作やジェスチャーで選手の士気を高め、スタジアムの空気を変えられるような監督だという。

話を聞いていると、今最も理想に近い監督の名前が出てきた。

浦和時代に監督と抱き合う槙野(本人インスタグラムより)
浦和時代に監督と抱き合う槙野(本人インスタグラムより)

「僕は新庄(剛志、現・北海道日本ハムファイターズ監督)さんのスタイルが大好きです。やはり選手が輝くことが一番ですが、新庄さんはプロデュースも含めてブランディングの仕方も素晴らしいと思う。

もう『自分を見に来い!』じゃないですか。お金を払って見に行きたい監督、選手ってどれくらい日本にいるかというとそんなに多くないと思います。

自分が指揮を執り、面白いチームを作った上で、ファン・サポーターがお金を払って時間をかけて見に行きたいと思ってもらえる監督を目指したいです。

だから今までになかったもの、新しい引き出しをサッカー界でも出していきたい。そう考えると新庄さんから学ぶことはたくさんあります。

実はこの間、うちの奥さんと新庄さんの親しい知人が食事したそうなんですが、その時に『槙野くんって新庄みたいだよね』みたいなことを言ってくれていたらしいんです(笑)。

今誰に会いたいか聞かれたら、新庄さんですね」

憧れの監督は新庄剛志
憧れの監督は新庄剛志

――監督というセカンドキャリアを目指す上で現役時代から年々模索しながら取り組んできたということですが、逆にやり残したことは?
英語ですね。やはり監督になるには外国人の選手ともダイレクトにコミュニケーションをとることはとても重要ですし、解説や選手にインタビューする時も英語が必要で、通訳さんを介して話すのと、自分の表現で話すのは全く違います。だから英語は必須です。今はファッションやスポーツブランドのイベントの仕事などでも全部英語ですしね。

昔から色んな人にやった方が良いと言われていましたが、今考えると中学の時とかに本気でやれば良かった。吉田(麻也、独・シャルケ)選手や冨安(健洋、英・アーセナル)選手が英語でインタビューを答えている姿を見て、本当に羨ましいです。

今になって英語の必要性を実感するという
今になって英語の必要性を実感するという

次の目標は“監督業”だと話す槙野だが、話が進むにつれ、彼の中には未来の自分自身と繋ぐ、ある一つの大きな軸があることが見えた。

「僕は『あいつ選手の時に凄い輝いていたよね』と思われるのが嫌なんです。『選手以上にあの後、監督として凄かったよね』と言ってもらいたい。

選手の時に日本代表だった、ワールドカップに出た、お祭り感があって記録よりも記憶に残る選手だった、ではなく、その後日本代表の監督になった、Jリーグで優勝してお客さんを呼べる監督だったよね、と。

選手以上に監督としての輝きを持ちたいと思っている。『引退してからの方が輝いてやる』と信じてここまでやってきたということです」

これまで異彩を放ちながら日本サッカー界を牽引してきた槙野。

現役時代の輝きは全て、未来の“監督”という大きな目標への道しるべだったという。その輝きから放たれる光が、これからどのように自らが目指す新しい監督像を照らしていくのか。

最後に槙野に問いかけた。

――最終的に目指すのは?
日本代表監督ですよ。
 

槙野監督が率いる日本代表が、W杯で飛躍する姿が今から楽しみだ。

木下康太郎
木下康太郎

フジテレビアナウンサー。
神奈川県横浜市出身、上智大学卒。
2010年フジテレビ入社。
主に情報、報道番組を担当。
とくダネ!、知りたがり!、めざましテレビ、めざましどようび、グッディ!を担当し、現在は日曜報道THE PRIME・情報キャスター。
厚生労働省・国交省の記者も兼務している。