今まで情報番組をやってきて、色んなこと言ってきたけど。今だったらどう言うんだろうとか考えながら見てますよ

2021年3月末に22年間続いた「とくダネ!」の総合司会を卒業してからも、くまなく色々な番組を見ているという、小倉智昭さん(75)。

前編では朝の顔として出演続けていた毎日から一転、闘病生活を送る日々について話してくれた小倉さん。後編では、現在、そしてこれからのテレビの在り方について聞いた。

小倉が斬る!最近のテレビ、気になる話題

――ここ最近テレビに関しては厳しい声が聞かれますが、毎日出演される生活から一転して、今はテレビを見ていますか?

つまらない!(笑)もう、こんなに面白くないのかと思いながら見てますよ(笑)。朝は結構早起きだから7時くらいからリモコン持って色々とチャンネルを変えながら何もなかったらずっと見てます。僕が出ているときもそうだったけど、あまりにも同じ人が出過ぎてる。この人いいなと思って、どこで見つけてきたんだろうと思っていると、すぐに他局にも出るよね。いつも同じ出演者、構図であれこれ考えながらやっている印象かな。

朝7時からずっとテレビを見ているという小倉さん、今のテレビについて色々と語ってくれた
朝7時からずっとテレビを見ているという小倉さん、今のテレビについて色々と語ってくれた
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――小倉さんの様な個性の強い人格の司会者の番組が減ってしまっているようにも感じます。

それはね、今になって思うけど、個性の強い司会者が段々嫌われてきているんだと思う。今、若い人達ってSNS等で色んな意見を聞けるでしょ、情報を得ようと思ったら言葉一つで検索できる。そういう時代になってくると、自分の好き嫌いの割合がはっきりしてくるし、「この人はこういうときはいいな」とかその都度、見たい人が変わってくると思う。

だから、今は、この司会者が良いとかって少なくなってるんじゃないかな。魅力ある人がやっても定着するのは難しい時代なのかもしれない。

一時期、僕らの頃は番組ごとに色を出せたし、MCが自分の考えでズバって言うこともできて、やっとそういう時代になったのかなと思ったら、それができなくなってきた。色んな事情があって、みんな気を使うかも分からないし、それが今の日本の現状かと思うと、難しい時期だよね。

ここ最近、特にテレビ業界を取り巻く環境は大きく変わろうとしている。テレビが生き残るためには何が必要なのか、今俯瞰して見える立場にある小倉さんはテレビ・メディアの強みはどのように感じているのだろうか。

「テレビの使命を考えると、やはり“スピード感”。ニュースなどでも正確でスピード感が大事、そうしないと何か起こって、他の方が情報が速いとSNSとかみんなそっちを見始めるでしょ。昔も災害とか強い何かが起こった時は『とくダネ!』強いよねって言われた時代もあったけど、やっぱりそれはテレビの持っている大きな使命なんだろうと思う」

ーー小倉さんが今、特に気になっている話題は?

「今だったらどう言うんだろう?」とか考えながら見るわけでしょ、そうすると「ウクライナの問題」を見て感じることかな。

例えば日本に関しては、本当は憲法改正の話からちゃんとやらなきゃいけないのに。いつの間にか防衛費の増額が決まって、金額も決まってという感じになって、若い人を中心に割合良いんじゃないかって人が5~6割いるんだよね。

それって本当は国会で、その前のことを話し合って、その結果次に進まないと駄目なのになって思いますよ。あと日本はしっかりと自分の国の事を考えて、日本としての主張をした方がいいと思うね。

『とくダネ!』時代を振り返ると…

ーー『とくダネ!』を22年間続けて、今振り返ってみて“これはやっておけば良かった”と思うところはありますか?

正直、色々やり過ぎたかなって思う部分もあります。それは視聴率次第でコーナーの中身を変えたりするわけですよ。それがどういう結果になったのかという反省をあまりしないうちに、次に進もうとするから良いと思われるものが、視聴率が取れなかったゆえに無くなってしまっていたりとか。

この前、暇だったので昔の『とくダネ!』を見ていたんです。じっくり腰を据えて取材をしていて、結構面白くてためになるコーナーがあったなと思いましたよ。

22年間続いた『とくダネ!』 小倉さんは「色々やり過ぎたかな」と振り返る
22年間続いた『とくダネ!』 小倉さんは「色々やり過ぎたかな」と振り返る

アナウンサーは「自分の意思を持ってマイクの前に」

これまで『とくダネ!』からも多くのアナウンサーが育ち、度々小倉さんが番組終わりに若手にアドバイスをしている様子なども見かけられた。

ーー小倉さんがこれからの若い世代のアナウンサーに伝えたいことはなんですか?

僕がアナウンサーを始めたときは、“トーキングマシーン”で良いんだって。要はきちんと原稿を読めて話が出来れば、それで良いという時代だった。それが段々アナウンサーとしての顔を持って、特徴を持って、時には自分の意見を言うこともあるという時代に変わってきた。

僕はこれからは常に自分の意思を持ってマイクの前に立った方が良いと思う。遠慮することはない。アナウンサーだからここまでしか言っちゃいけないとか言われるかもしれないけど、誰が聞いても納得のいくことであれば、誰も叩けないでしょ。それを目指した方が良いと思うよ。

あとは、アナウンサーは薄っぺらくても良いから、幅広い知識があった方が良いって言われた時代があったけど、俺は絶対違うと思う。全てに関して詳しいほど強いに決まっているから、引き出しがあったらそこに全部その資料を詰めていっぱいになるくらいじゃないといけないし、自分でもそう思ったよね。

残された仕事「小倉智昭を覚えられている間に代弁者に」

小倉さんは現在75歳。人生100年時代と言われる今、常に大きな熱量を持って生きる小倉さんにとっての次なる挑戦はどういったものなのか。

「色々と取材で日本中飛び回って歩きましたよ。講演などでも行かせてもらったしね。でも、改めて地図を見ると行ってない所がたくさんあるんだよね。僕って割り合い、地方の色が好きなんですよ。その土地の言葉を覚えたり、食べたり、人と触れ合って楽しかったなって。

ただその地方の人達と話をするにも、『小倉智昭』っていう顔と名前が覚えられている間じゃないと良い話が聞けないっていうこともある。もうこの年になると自分の番組に生かすことはできないかもしれないけど、この人だったらテレビで私達の言ったことの代弁者になってくれるかもしれないって思ってもらえる間に、そういう話を聞いて広げられたらと思う。そういうことをやるのが、残された僕の仕事かなって思いますけどね」

果報は“練って”待て

そして最後に小倉さんは、自身が最も大切にしている生き方について語ってくれた。

「最後まで自分には何ができるかって考えても良いと思うんだよ。もう死ぬ間際まで、何かできること、何かをやろうって考えることって重要だと思うよ。だからね、『果報は寝て待て』じゃないんですよ。『果報は練って待つ』。

ご褒美っていうのは常に何かをやっていないと、いただけない。寝ててもらえるなんて言った奴はここに連れてこいって言いたくなる。だから『果報は“練って”待て』、最後はちゃんとここに辿り着いたよ」

現在は病と闘う小倉さんだが、改めて今回話を伺って、その気迫と力強い存在感を感じた。今、小倉さんは何を“練って”いるのだろうか?元気になった小倉さんから、切れ味のあるメッセージを再びテレビで聞ける日を楽しみにしたい。

【インタビュー・執筆:フジテレビアナウンサー 木下康太郎】

木下康太郎
木下康太郎

フジテレビアナウンサー。
神奈川県横浜市出身、上智大学卒。
2010年フジテレビ入社。
主に情報、報道番組を担当。
とくダネ!、知りたがり!、めざましテレビ、めざましどようび、グッディ!を担当し、現在は日曜報道THE PRIME・情報キャスター。
厚生労働省・国交省の記者も兼務している。