「やっぱり“ハンカチ王子”って言われたことが、僕にとっては宝物です」
この記事の画像(10枚)2021年のシーズンを最後に現役を引退した、元プロ野球選手・斎藤佑樹(34)。
引退を決断した際に栗山監督からかけられた言葉は、第二の人生を歩む上で大きな影響を及ぼしたという。
前編では、国民的スターという栄光を背負いながら挑んだプロ野球の世界で、直面した厳しい現実との葛藤について話した斎藤。
後編では、引退時の想い、そして現在の活動について聞いた。
「前だけを見て明るく行くぞ」栗山監督の言葉
2021年夏、東京五輪でサムライジャパンが金メダルを獲得していた頃、二軍での生活を続けていた斎藤佑樹は引退を決断していた。そして当時北海道日本ハムファイターズの監督だった栗山英樹監督に、その思いを伝えた。
「引退を決断したときに栗山監督に電話をしました。そしたら『佑樹、本当に良いんだな?もう本当に悔いはないか』と聞かれました。僕はもう決意を固めていたので想いを伝えると、『OK、分かった。じゃあもう後ろを振り返るのはやめよう。とにかく前だけ見て明るく行くぞ』って言ってもらったのが凄く印象的でした。
僕だけじゃないと思うんですけど、多分人間って過去の栄光を引きずったり、『あの時もっとあれしておけば良かった』という思いがあるじゃないですか。それを振り返らないで、前だけ見て、明るく行くぞって言ってもらえて、僕にとっては改めてそこで区切りがついた瞬間でもありました」
――17年前の夏に“ハンカチ王子”として夏の甲子園で注目されて以降、激動の野球人生だったと思いますが、その幕が下りる瞬間に思い出されたのはどのシーンでしょうか?
たくさんありますが、自分が野球を始めた地元の小学校でプレーしていた瞬間ですね。引退して2日後くらいに小学校に行って、ここから僕の野球人生がスタートしたんだなということを思い返しました。ここでランニングホームラン打ったな、監督に走らされたなって、色んな思い出が蘇ってきて、野球を始めて良かったなと涙が出てきました。
「株式会社斎藤佑樹」が目指す先は
引退後、斎藤は「株式会社斎藤佑樹」という自身の名のついた会社を設立し活動しているが、その社名にはある決意が込められているという。
「やっぱり野球界に対して恩返しをしたいっていうのが一番にありました。そうするために何をしたら良いのか、どのような肩書になるべきなんだろうって考えた時に、自分一人で歩きだしているんだっていうところを示したかったので、分かりやすく『株式会社斎藤佑樹』という名前の会社を立ち上げて、スタートさせました。斎藤佑樹で勝負するという意味です」
――その会社の取り組みは?
“野球未来づくり”というスローガンを掲げていて、野球に携わる方がもっと野球を好きになってもらえるように、野球に興味がない方たちが野球に興味を持ってもらえるような、子どもたちが野球って楽しいなって思い続けてもらえるように、色んな方達と手を組んでサポートしていく活動をしたいなと思っています。
斎藤の夢は、少年野球専用の野球場を作ることだ。
今年3月に開業した日本ハムの新本拠地・エスコンフィールドHOKKAIDOを、「あそこは野球に興味がない人が行っても楽しんで、遊んで、帰ることができる」球場だとみている斎藤。会社で“野球未来づくり”というスローガンを掲げるからこそ、野球に興味を持ってもらえる“ファン”を増やすために、そんな野球場を様々な場所に作りたい。
そこに少年野球専用のフェンスを設置して、ホームランを打ったらゆっくり一周して、打った醍醐味を子供達に感じてもらえる…、そんな夢があるのだ。
その夢の実現のための第一歩はすでに歩み始めている。
「都内の地下に野球専用のジムがあるんです。僕はそこに今、出資をしています。要は都内で野球ができる環境って凄く少なくて、そういう現状を改善しようと作られました。色んな企業の方達や、自治体と組んで、野球界の課題を解決するということをやっています。毎日誰かしらと会って、学んで、世の中の仕組みを知ってまた野球に目を向けると、改めて選手時代に気付けなったことが見えて、面白いですね」
斎藤にとっての「ハンカチ王子」とは
順調にセカンドキャリアを歩み始める斎藤。しかし今考えると、事前に準備を重ねておけばよかったと思うことが多いという。
――改めてその目でプロ野球界を振り返って、セカンドキャリアに対する課題はどのように感じますか?
ある大学アスリートの論文を読んだのですが、競技だけやっている選手と、勉強もちゃんとやっている選手では、どちらがアスリートとしての成績が高いのかが分析されていました。結果は、競技と勉強をしっかりと両立しているアスリートの方が、競技生活が良くなるということです。
そういうデータを見て振り返ると、野球をやっている間も、色んなことを勉強しなくてはいけないというのを感じていて、それこそ金融、経済、英語の勉強など、デュアルキャリアも可能ですし、競技生活の中でもできることがあるなと、引退してから分かりましたね。
――今現役時代を振り返ってみて、これだけはやっておけば良かったということはありますか?
英会話ですね。僕は引退してからすぐに英語の勉強を始めたんですが、座学で勉強し続けても、ラーズ・ヌートバー選手(カージナルス)にインタビューさせていただいた時に、彼の英語を全部聞き取るのは難しかった。ちょっとずつ掻い摘んで、何となくニュアンスを理解することはできますが…、もっと外国人選手と積極的にコミュニケーションを取ればよかったです。
やはり現役のうちはそれに気が付くことができませんでしたが、セカンドキャリアではなくても、デュアルキャリアとして、キャリアを同時並行で構築していくことは可能で、せっかく野球という環境で外国語と接する機会があるので、英語学習などに時間を使ってもいいのかなと思います。ヌートバー選手とも本当に野球が繋げてくれたご縁ですし、彼はアメリカと日本の架け橋になるような存在だと思います。いつか一緒に何かやりたいと思っています。
現役当時は自分自身の野球以外、何も考える余裕もなかった。だからこそ、引退した今、現役生活を振り返ると、その後の長い人生を歩む上で、競技と共に取り組んでおくべきだった課題が明確に見えてきたという。
そして最後に、“斎藤佑樹”という人間を語る上で欠かせない、限られた人しか経験することができない“光”について問うた。
――「ハンカチ王子」として日本中から脚光を浴びた経験は、斎藤さんの人生にとってはどんな意味がありましたか?
今思えば、あの“ハンカチ王子”というものがなければ、僕のその後の野球人生、引退してからのこの一年半もそうですけど、今のようにはなり得なかったと思う。やっぱり“ハンカチ王子”って言われたことが僕にとっては本当に有難かったし、宝物です。
当時はそんなこと全く思えなくて、野球選手として注目して欲しかった。甲子園で優勝したいっていう夢を掲げていた少年からすると違和感がありました。でもあの時、18歳の少年なりに色々と葛藤もありながら、消化して我慢して、それを乗り越えて。当時の自分と話せるなら『落ち着いて一歩一歩成長していってくれたよ』って言いたい。その経験が全部今の僕を作り上げてくれているので、「ありがとう」と。
斎藤がかつて自分を照らした光のように、これから野球界を明るく輝かせてくれることに期待したい。