「パーン」。『乾いた音が夜の静けさを切り裂いた。捜査員突入の次の瞬間「犯人が発砲。1番員が撃たれた」との一報で捜査本部は騒然となった』。往時を知る捜査員の証言である。

女子大生誘拐 身代金3億円

2006年6月、東京・渋谷で女子大生が拉致され、母親が身代金3億円を要求される事件が発生した。「最後の誘拐事件」とも呼ばれている。実は捜査員が殉職していてもおかしくなかった。警視庁捜査一課特殊犯捜査係の突入検挙部隊、通称「SIT」(エスアイティー)が女子大生の監禁場所に突入する際、犯人から発砲されていたからである。

梅雨の合間によく晴れた日だった。被害者の女子大生は通学のため停留所でバスを待っているところ犯人によって声をかけられ、ワゴン車に半ば押し込まれようにして拉致される。この時、不審に思った通行人が犯行車両のナンバーを不完全ながらも記憶していた。通報を受け渋谷署に設置された捜査本部は犯行車両の割り出しを急いだ。

誘拐の様子を目撃した通行人が駆け込んだ鉢山町交番(2006年6月 東京・渋谷区)
誘拐の様子を目撃した通行人が駆け込んだ鉢山町交番(2006年6月 東京・渋谷区)
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目撃された不完全ナンバーに近いワゴン車がないかが焦点となる。そこで挙がったいくつかの車のうち実際に渋谷の拉致現場から逃走した車がないか、自動車ナンバー自動読み取り装置、通称「Nシステム」のデータから犯行車両が絞り込まれていった。

「何かあったら女を消せ」緊迫の尾行劇

少なくとも夕方には犯行に使われたとみられるワゴン車の尾行が始まっていたという。小回りがきき察知されにくい「トカゲ」と呼ばれるバイクが追跡していた。やがて犯行車両は目的もなく同じルートをグルグル回り始めた。そのためトカゲの捜査員は尾行が勘づかれている可能性があることを恐れた。

容疑者の自宅アパート(2006年6月 横浜市鶴見区)
容疑者の自宅アパート(2006年6月 横浜市鶴見区)

ちょうどその頃だったのだろうか、犯行車両に乗っていた男が、アジトで被害者の女子大生を監禁していた男に電話し「しっぽ(尾行)が離れない、何かあったら女を消しちゃって」と話していたことが後の裁判で明らかになった。アジトの男は「裏切られたようだな」と言って女子大生の顔に実弾が装填された拳銃の銃口を向けていた。

被害者の救出に一刻の猶予もない状況だった。つかず離れずのぎりぎりの尾行が行われていたのだろう。粘りの尾行は事件のスピード解決に繋がる。多摩川沿いのアジトの近くで尾行部隊はついに犯行車両の男への職務質問に踏み切り、アジトに案内するよう男に求めた。