男は、意外にも、捜査員の要求に、素直に応じたという。そして男を先頭に女子大生が監禁されている川崎市内のマンションの部屋まで行き、インターフォンを押させドアが開いた。その瞬間の出来事こそが冒頭の捜査員が語った場面だ。

SIT捜査員に向け銃弾が・・・

ドアが開くや否や先頭だったはずの先導の男が瞬時に倒れこんだという。その刹那、いたはずの男がいなくなりSITの先頭にいた1番員は拳銃を向けている犯人の男と正面から対峙する格好になった。

監禁場所となったマンション(2006年6月 川崎市中原区)
監禁場所となったマンション(2006年6月 川崎市中原区)
女子大生が保護され後、監禁場所となったマンションの家宅捜索が行われた(2006年6月 川崎市中原区)
女子大生が保護され後、監禁場所となったマンションの家宅捜索が行われた(2006年6月 川崎市中原区)

この時、銃口が土管のように見えたとの証言もある。捜査員の視覚がどれだけ拳銃その1点に集中したかを表している。そして銃を手にしている犯人の腕の筋肉がピクっと明らかに波打ったのが見えたという。拳銃の引き金を引いた瞬間だった。銃声が轟く中、SIT捜査員は立ち上る硝煙を吹き飛ばす勢いで雪崩のように犯人に突進した。犯人制圧。同時にSITは13時間にわたって監禁され絶望の淵に立たされていた被害者を無事保護したのである。。

一方、犯人が銃を持っていたことを知った捜査本部は色を失ったに違いない。「1番員の状況は?」捜査本部は無線報告を祈る様に待ったはずだ。九死に一生とはまさにこういうことを言うのだろう。至近距離から頭を撃たれた1番員はほぼ無傷だった。弾がそれたのか。

捜査員の命を救った「停弾」

そうではなかった。発射されたはずの弾丸は、弾の形をそのままに銃身内に留まっていた。「停弾」と呼ばれている。おそらくその弾だけ火薬量が少なかったか、梅雨時で火薬が湿気てしまったのか、弾丸の射出に十分な発射薬の爆発力が発揮されなかったということらしい。弾は既に発射されてしまったため再現実験はできず、「停弾」がおきた理由は不明のままだ。

犯人の自宅アパートの家宅捜索(2006年6月 横浜市鶴見区)
犯人の自宅アパートの家宅捜索(2006年6月 横浜市鶴見区)
渋谷署の前では、犯人を乗せた捜査車両を報道陣が囲んだ(2006年6月)
渋谷署の前では、犯人を乗せた捜査車両を報道陣が囲んだ(2006年6月)

SIT捜査員の奮闘について、事件指揮を執った当時の刑事部長は「血も凍るような現場での命がけの神業である」と讃えている。人知を超えた何かの力が弾を食い止めたと思えてくるのも無理はない。被害者保護、犯人逮捕への捜査員の執念があってこその結果だが「停弾」は奇跡だった。

この事件以降、国内で身代金目的誘拐事件は今日まで16年間発生していない。「最後の誘拐事件」で捜査員が身命を賭して示した「事件を解決させる力」が、その後の誘拐事件の発生そのものも食い止めているのではないか。そう思えてならないのは私だけだろうか。

(フジテレビ報道局・上法玄)

この記事に載せきれなかった画像を一覧でご覧いただけます。 ギャラリーページはこちら(11枚)
上法玄
上法玄

フジテレビ解説委員。
ワシントン特派員、警視庁キャップを歴任。警視庁、警察庁など警察を通算14年担当。その他、宮内庁、厚生労働省、政治部デスク、防衛省を担当し、皇室、新型インフルエンザ感染拡大や医療問題、東日本大震災、安全保障問題を取材。 2011年から2015年までワシントン特派員。米大統領選、議会、国務省、国防総省を取材。