かつて、社会人野球で日本一に輝き、数多くのプロ野球選手も輩出した、「日産自動車野球部」

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2009年、リーマン・ショックに伴う経営不振により休部になっていましたが、16年の空白期間を経て復活。20日、JABA春季神奈川県企業大会の初戦に登場しました。

絶望からの復活劇

活動休止を告げられた2009年にキャプテンを務めていた、“ミスター日産”の異名を持つ伊藤祐樹さん。監督となった今、当時をこう振り返ります。

日産自動車野球部 伊藤祐樹監督:
(朝)準備をしていたら「食堂に全員集合してくれ」ってなって。そこで初めて「今シーズン限りをもって、日産自動車野球部は休部になる」というのを伝えられたっていう。
鈍器で殴られたじゃないですけども、すぐに実感することは、ちょっと難しかったかなと。

創部50年を迎えた名門野球部の突然の休部。
伊藤さんは早くから復活への思いを抱いていたものの、当時の経営状況から気安く「復活させたい」と言うことはできない、厳しさも理解していました。

そんな中、野球部とは全く無関係だった横浜工場・総務課に勤める古川太さんが、行動に出ます。

古川さんは、自作したプレゼン資料を持って、経営陣らに復活の直談判を行ったのです。

横浜工場・総務課 古川太さん:
野球やサッカーって、これだけスポーツをしている人たちの中で支持されていますし、うちはサッカーは(横浜F・マリノスで)カバーできているじゃないですか。
野球って、このゾーンにもうちょっとより添いをかけていった方がいいんじゃないかと。

古川さんは、野球部の休部によって日産に「野球を諦めた企業」というブランドイメージがつくことを危惧し、このままでは大人から少年野球に至るまで、“野球に関わる人たち”が、日産車から離れてしまうと主張しました。

横浜工場・総務課 古川太さん:
会社がコスト削減のために野球部を休部にさせたっていうこと以上に、(野球関係者の顧客が離れるという)ダメージを日産が受けているんじゃないかって。

さらに、人事本部の田川博之さんが、かつて都市対抗野球で必死に戦ってきた選手たちの姿を、経営陣にプレゼン。

人事本部 田川博之さん:
うまくいった時に心から喜んでいる姿もあるし、心から悔しがっている姿みたいなところが人を動かすのだと思うので。選手の躍動している姿っていうのも提案資料に差し込んで。野球教室に来ている子供たちの笑顔もいっぱい載せて、どれだけこれが素晴らしいことなのか、社会貢献の一環なのだと。

このプレゼンが後押しとなり、2023年に野球部復活が決定しました。

田川さんは、新チームのGMに就任し、復活した野球部の監督は、選手時代に休部となり悔しい思いを抱き続けた、“ミスター日産” 伊藤さんでした。

監督に就任した伊藤さんは、自ら全国の大学を回り選手のスカウトに奔走。泥臭くも、常に一生懸命、前向きにプレーする選手たちが集まりました。

日産自動車野球部 伊藤祐樹監督:
大学生が就職先を決めるのがめちゃくちゃ早くて、選手集めがこれまた大変だったんですけど。本当に150km/h投げる、この選手すごいなっていうのもそうですけど、一生懸命やっている選手、物事を大事にするとか、ひるまないで前を向いてやっていくという。

前年「王者」相手に食らいつく「純粋に胸が熱くなった」

“ほぼ”新入社員で結成された新生・日産自動車野球部の初戦の相手は、2024年の都市対抗野球を制した、王者「三菱重工East」。

日産自動車野球部は、粘り強いプレーで王者に食らいつきましたが、最後には王者の底力を見せつけられ、敗北。初陣を飾ることはできませんでした。

それでも、試合を見た日産自動車の社員たちは…。

日産自動車社員:
選手のひたむきなプレーが見られて、純粋に胸が熱くなりました。

日産自動車社員:
今会社が難しい時期なので、野球を通じて一体感を持てたらいいなと思っています。

選手たちの懸命なプレーは、確かに見る人たちの心を動かしていたのです。

日産自動車野球部 伊藤祐樹監督:
一生懸命やる中で、こういったゲームを勝ちにつなげて、応援してくれる方々に届けられるような野球にしていきたいと思います。
(めざまし8 3月21日放送)