1980年代までゴールデンタイムのお茶の間を沸かせた「こびとプロレス」。しかし「障がい者を笑いものにするな」という世間の“良識”の声に、テレビが自主規制に乗り出したことでこびとたちは画面からあっという間に姿を消していった。その後活躍の場を失ったこびとプロレスラーは減り続け、いま日本にいるのは2人だけだ。

「俺たちは障がい者じゃないです。だからテレビに出たい」

「俺たちは障がい者じゃないです。障がい者だったらプロレスできないですよ。だからテレビに出たいんです」

こう語るのはいまも活動しているこびとプロレスラー、プリティ太田さん(43)。プリティさんは身長141センチの低身長症だ。1978年に茨城県で生まれたプリティさんは、中学生のときに全日本女子プロレスの試合を観に行ってこびとプロレスに出会った。

「当時こびとプロレスの全盛期は終わっていたので、テレビでリアルタイムにみたことはなかったです。地元に女子プロレスが来たので観に行って、初めてこびとプロレスの存在を知りました」

プリティ太田さんは26歳でこびとプロレスにデビュー
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プリティさんは子どもの頃からプロレスの大ファンで、プロレスラーに憧れていたものの、自分の身体ではプロレスラーにはなれないと思っていた。ところが初めて試合をみた会場で、プリティさんはレフリーをしていた関係者にその場でスカウトされたのだ。

プリティさんはすぐにでもプロレスラーになりたかった。しかしけがを心配した両親が強く反対して、結局プロレスラーになったのはそれから10年以上たった2004年、26歳の時だったという。

こびとの存在そのものがなきものに

当時こびとプロレスは解散寸前の状態だった。プリティさんはこう語る。
「こびとプロレスラーは、すでにブッタさん(ミスター・ブッタマン)1人でした。だから全日本女子プロレスの興業で月に10試合ぐらいありましたが、相手はいつもブッタさんでしたね」

80年代以降放送局は“こびと”という言葉の使用を自主規制するようになっていた。だからこびとの存在そのものが、日本の社会の中で“なきものに”されていたのだ。

当時こびとプロレスラーはミスター・ブッタマンさん(右)と2人きりだった

オリパラやSDGsで社会の空気に変化

しかし東京オリパラの開催決定やSDGsへの意識が広がり始めると、日本社会が「多様性」や「共生社会」を考えるようになり、こびとプロレスを巡る社会の空気にも少し変化が出てきた。

プリティさんはこう振り返る。

「完全に変わったとは思っていませんでしたが、何となく緩くなってきたのかなと感じました。BSのちょっとマニアックな番組でこびとプロレスが特集されてゲストに呼ばれたり、地上波のゴールデンタイムのバラエティ番組にも出演したりして、多少は変わったかなあと思うようになりました」

こびとプロレスをめぐる社会の空気に変化が

マイノリティに表現のチャンスを

さらに2017年に俳優の東ちづるさんが主宰する一般社団法人Get in touchの舞台「月夜のからくりハウス~まぜこぜ一座」で、こびとプロレスのデモが行われた。東ちづるさんは語る。

「多様性を重んじる社会では、障がいの有無に関わらずすべての人に表現をするチャンスはあるべきです。日本のテレビ番組や映画では、海外のようにマイノリティアーティストやパフォーマーを見かけることはありません。そこでGet in touchではさまざまな特性のある表現者と舞台や映像をつくってきました。その中にはもちろんこびとプロレスもありました」

東ちづるさん「すべての人に表現するチャンスがあるべき」

プリティさんは語る。

「お話を初めて頂いたとき、なぜ東ちづるさんが?と思いました。普段はイベントに呼ばれたら試合をするくらいで、近所のコンビニでバイトしていましたから。驚きと同時に何かチャンスに変わるかもしれないと思いました。そしてお会いしてお話を聞いて、これは面白い!と一発でOKしました」

「こびとプロレス」が東京オリパラ文化事業に

さらに驚いたのは東京オリパラの文化事業の制作を東さんが任され、世界に配信された映像コンテンツ「MAZEKOZEアイランドツアー」で、再びこびとプロレスが行われることになったのだ。

NHKの朝のニュースでも「MAZEKOZEアイランドツアー」は特集され、その際に「こびとプロレス」や出演者のこびとマジシャン・マメ山田さんが紹介された。番組ではこれまで自主規制されていた言葉“こびと”が連発され、まさに時代の歯車が動いたと感じた瞬間だった。

「MAZEKOZEアイランドツアー」は9月末まで配信中。右前はマメ山田さん。

生き残りをかけ「リボーン」プロジェクト開始

東京オリパラは熱狂の中、幕を閉じた。そして「こびとプロレス」はいよいよ生き残りのためにクラウドファンディングを開始した。プロジェクトは名付けて「リボーン(再生)」だ。

このクラウドファンディングには予想以上の支援が寄せられ、開始後20日で目標金額を達成しこれまでなかった専用リングを購入できることになった。

プリティさんは興奮気味にこう語る。

「クラファンがまさか20日で達成するとは思っていませんでした。コメントもすごく好意的でもちろん嬉しいけれど、本当にどう思っているのかなと考えたり。いままでは道場が無かったのでトレーニングは自宅で腹筋や背筋をするくらいで、投げ技の練習も当日試合会場でという感じでした。やりたくてもやれなかったので嬉しいですよ」

クラウドファンディングは20日で目標達成してセカンドステージに

ハードルの高いこびとレスラーの後継者育成

そして早くもクラウドファンディングの次のゴールが決まった。それは次世代に向けたこびとレスラーの育成だ。現役レスラーは2人だけ。後継者を探すのが急務なのだが、プリティさんは「正直なところハードルは高いです」と語る。

「レスラーを集めるにしても課題が多いんですよ。まず候補者がいるかどうか、こびとプロレスを知っているかどうかもわからない。プロレスが好きじゃないとできないし、周りを説得できるかどうかもある。どうやってアピールしていくかですね」

さらに次のゴールでは「こびとプロレス」の新団体を設立する。現在、団体の名前を公募中だ。

2人の後継者育成に未来がかかっている

見せかけのヒューマニズムを吹き飛ばす

プリティさんは今年43歳。体力的にはきついという。しかし引退する気はない。

「引退はないです。こびとプロレスの再生は自分にとってのデスティーノ(運命)なんですよ。僕たちが動かなければ日本のこびとプロレスは消えてしまう。とにかくみに来てほしい。自分がこびとプロレスと出会ったことで夢を持てたように、多くの人に夢と希望を届けたいです」

東ちづるさんは「こびとプロレスがスポーツやエンタメとして確立されれば、日本の多様性の扉が開きます」と語る。

見せかけのヒューマニズムや建前のダイバーシティを吹き飛ばす。まさに「こびとプロレス」が日本社会をリボーンさせるのだ。

往年の悪役・ダンプ松本さんも参戦。こびとプロレスはエンタメとして確立なるか

【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】