私たちはどう対処すべき?
--「人を殺したい」という特殊な性癖を持つ人物に対して、私たちはどう対応していくべきなのか?
性犯罪を恐れることは偏見ではありません。正しい認識です。
学者たちのなかには「法整備は不要。少年犯罪は減っている」という人もいます。でも、少年犯罪の減少は学者たちの達成ではなく、無名の有能な実務家たちが法の不備を補ってきたにすぎません。
でも現場の努力には限界があります。法整備が急務です。
再犯リスクの高い人だって、死刑にならなければ、いずれ塀の外に戻ってきます。この事実に恐怖を感じるとしても、それは正しい反応です。地域の人々は、犯罪を恐れる権利を持っています。その恐怖を鎮静させる制度を準備することは、国の義務です。
国民の皆様におかれましては、まずは、正しく「怖い!」と叫んでください。「そんな怖い人が近所にいるなら教えてくれ!」と言ってください。「二度と怖い事件が起きないようにその人を見張ってくれ!」と声を大にして言ってほしいのです。
そうすれば国民の声にこたえて、議員さんたちが法律を作ってくれます。学者たちは、「少年犯罪は減っている」というデータを錦の御旗のように振りかざすのではなく、自らの無為無策が国民にご迷惑をかけている事実を認識すべきです。

”犯罪予防”に無力な現行法
--「人を殺したい」と普段から思う人物は非常に希なケースだと思うが、今後も社会に存在してしまうのか?
「可能性は0ではない」ということです。過去にも数々の凄惨な少年事件がありました。稀有でも特殊なケースは、振り返ってみるべきだと思います。
現行法は犯罪予防に無力です。裁判官だって、鑑定人だって、現行法の制約のなかでできることを考えようとします。
だから「刑務所よりも、少年院よりも、医療少年院の方がまだいいだろう」と判断する。でも、どれだって同じです。地域に出てからのアフターケアを欠いている点は、少年法だけでなく、刑法だって同じ。だから、必ずまた犠牲者は出ます。

現行法に忠実である限り、被害者には「お気の毒でした」としか言えない。しかし、そこに法の限界があるのなら、新しい制度を作るべきでしょう。
犯罪の危険がある人にどう対応すればいいか。現時点では、少年法どころか刑法すら、過去しかなく、未来はありません。
過去の罪に罰を与えることができるだけで、未来のリスクのために予防措置を講じることはできません。
現行法上、犯罪を予防する唯一の方法は死刑です。しかし、将来犯罪を起こしそうな人を一人残らず死刑にするのは、まともな国のすることではない。したがって、犯罪予防のための多様な処分を用意する必要があります。

犯罪予防のための多様な処分を
実は、20世紀の初頭に諸外国はすでに過去の犯罪に対する刑罰とともに、未来の危険に対して処分を行う法制度を作っていました。
日本も1926(大正15)年には、「刑法改正ノ綱領」が出され、未来の危険のための制度も提案されていました。しかし、その後の戦乱などさまざまな事情で頓挫して現在に至っています。
日本がぼやぼやしている間に、諸外国は予防のための法制度を整備し、実践知も膨大に蓄積してきました。
昔は予防措置といっても、刑務所だの、病院だのに閉じ込めておくことしかできなかった。でも、今は違います。

社会内処遇といって、塀の外に出て、しかし、その後も危険な行為に出ないように見守るシステムを作っています。
GPSで空からの見守りを続けるような、大正時代には考えられなかった洗練された方法も開発されています。欧米諸国だけではありません。アジアのなかでも、韓国はすでに10年以上の歴史があり、台湾でも導入が検討されています。
日本は一方に死刑という制度があり、そのせいで「危険人物は皆死刑!」といった極端な厳罰主義に陥りがちです。無理もありません。予防手段が、死刑以外にないからです。
少年院なり、刑務所なりを出てから地域社会の中で人生の再出発を始めたような人たちが、魔が差してあらぬことをしでかさないように、国が見守る制度が必要です。

国民の皆さんは、どうかぜひとも「怖い!」「危ない人についての情報は教えて!」「国がしっかり見ておいて!」とおっしゃってください。
そして皆さんの声を大きくして、議員さんたちに届けてください。この国の主権者は皆さんです。皆さんこそご主人様であり、議員さんはご主人様にお仕えするサーバント(従者)です。ご主人様の意思をサーバントに伝えてほしいのです。
国民が声をあげ、法改正を
--現在の「少年法」をどのように捉えているか?
重要なことですので反復をいとわずに申します。問題は少年法ではなく、刑法なのだということです。少年法が犯罪を予防できないだけでなく、刑法だって予防できません。刑法にできる予防は死刑しかない。でも「犯罪予防はもっぱら死刑」なんてまともな国とは言えないでしょう。改正すべきは刑法です。少年法ではありません。
その一方で、少年・少女達というのはまだまだ成長する余地を残しています。彼ら彼女たちの可能性を完全に断ち切るようなことはやってはいけないと思います。
やはり人生の敗者復活戦を用意しなければいけない。結局、少年法というものは、罪を犯した子供に対して愛情を持って育てていこうという法律なのです。基本的には。どうやって敗者復活戦を用意するかということを一生懸命考えている法律です。
だからこそ、愛情でなんとかなるようなケースでなければ、その分は予防処分が必要だといえます。

「国民が声をあげ、法律にして表現してほしい」
2時間以上に及ぶフジテレビの取材に応じた井原裕精神科医師は、最後に次のように語った。
「茨城県の事件でご家族が犠牲になったことの重みを考えましょう。国民の皆様は、正しく怖い!殺されたくない!怖い人がいるなら教えて!ちゃんと見ておいて!と言ってください。この国では、ご主人様は皆さんです。議員さんだって、お役人だって、医者だって、皆さんのサーバント(従者)にすぎません。サーバントは皆さまの指示に忠実に動きます。皆様の指示を法律にして表現してほしいのです」
取材・執筆 フジテレビ報道局社会部 河村忠徳
前編はこちら:「人を殺したい」という性癖もつ少年に治療技術自体ない…精神科医からみた茨城一家殺傷事件(前編)