外交とは本来、国家の安全保障、歴史、宗教、そして国民感情までも織り込んだ複雑な交渉である。
市場取引のように、単純な損得計算だけで決着がつくものではない。
ウォール街でも広がる「TACO」
ところがトランプ政権の対外戦略、とりわけイランをめぐる交渉を振り返ると、その手法はむしろ、ニューヨークの不動産業界の交渉術に近いものだったように見える。
トランプ氏はもともと、マンハッタンの高層ビルや高級ホテル開発で名を上げた不動産業者であり、「ディールの達人」として知られてきた人物である。その成功体験が、そのまま外交にも投影されたと見ることもできる。
ウォール街では近年、トランプのこうした交渉スタイルを揶揄(やゆ)する言葉として、「Trump Always Chickens Out(TACO)」という表現が広まった。
強気の要求を突きつけながら、最終局面では後退する――市場はそのパターンを織り込み、「引き際」までも計算に入れて動くようになった。
この「TACO」と呼ばれる振る舞いもまた、ニューヨークの不動産交渉では珍しいものではない。強く出て、揺さぶり、そして最終的に着地点を探る。その過程での“後退”は、取引成立のための一手とされる。
交渉促進に結びつかなかった演出
特徴は明確だ。強気の初期提示、相手の事情の読み、撤退をちらつかせる圧力、そして時間的な緊急性の演出――。
まず「アンカリング」である。トランプ政権は開戦当初から、「イランの核開発の完全放棄」という最大限の要求を掲げた。交渉の基準点を高く設定し、そこから譲歩を引き出す戦術だ。
しかしイランにとって、ウラン濃縮は体制の正統性に関わる問題である。このため、この「アンカー」は交渉の出発点ではなく、むしろ交渉を拒絶する理由となった可能性がある。
次に「撤退カード」である。「合意しない」「軍事行動も辞さない」といった姿勢は、交渉を打ち切る可能性を示すことで相手に圧力をかける手法である。
だが国家間では、それは単なる駆け引きではなく、「敵対の意思」と受け取られる。イランにとっては譲歩ではなく、対抗強化の理由となったと見る向きもある。
そして「緊急性の演出」である。トランプ氏はある場面で「今夜、一つの文明が滅びる」とまで語り、事態の深刻さと時間的切迫を強調した。
これは不動産で言えば、「今決めなければ機会は失われる」という圧力に近い。しかしイランは短期的な圧力では動かない。むしろ長期戦を前提とする国家であり、この種の演出は交渉促進には結びつかなかった。
加えて、トランプ外交は個人的関係を重視する傾向が強かった。だがイランの意思決定は、宗教指導層や革命防衛隊を含む複層的な権力構造によって支えられている。個人関係だけで動く体制ではない。
こうして見ると、トランプ外交の手法は一貫している。そしてその特徴は、「TACO」に象徴されるように、強気と後退を織り交ぜながら着地点を探るニューヨーク流の交渉術そのものでもある。
だが問題は、その前提にある。「相手は条件で動く」という市場的な発想である。
不動産取引であれば成立する。しかしイランのように、歴史と宗教と体制の正統性を背負う国家にとって、譲歩は単なる損失ではなく、「敗北」を意味する。
その結果、強圧的な初期提示も、撤退の示唆も、時間的圧力も、交渉を動かすどころか、むしろ相手の強硬化を招いた可能性がある。実際、体制は崩れず、強硬派の影響力が強まったとの分析も出ている。
ニューヨークの不動産市場では有効な交渉術も、国際政治では同じようには機能しない。
トランプの外交戦略は、確かに一つの論理を持っていた。しかしそれは国家間交渉というよりも、不動産取引の延長線上にあったとも言える。
そしてその手法は、少なくともイランという相手に対しては、通用しなかった――と映る。
