アメリカでいま、「Date-flation(デート・フレーション)」という言葉が広がり始めている。
インフレ(Inflation)とデート(Date)を掛け合わせた造語で、「恋愛するにも金がかかりすぎる」という若者たちの嘆きを表す言葉だ。
「恋愛は贅沢品」恋愛が“節約対象”に
発端となったのは、BMOファイナンシャル・グループ が公表した調査だった。
それによると、アメリカでデート1回にかかる平均費用は189ドル=日本円で約3万円だ。しかもこれは食事代だけではない。デート前の美容院代や化粧品代、ガソリン代、移動費まで含めた「総額」である。
特に深刻なのが若い世代だ。1980年代前半から1990年代半ばごろに生まれた「ミレニアル世代」は、1回平均252ドルをデートに使っている。さらに、1990年代後半から2010年前後に生まれた「Z世代」でも205ドルに達した。
しかも調査では、Z世代の半数近くが「デート費用が人生設計の妨げになっている」と答えた。SNSには、「恋愛は贅沢品になった」「この物価では恋もできない」「デート代を払うくらいなら家賃を払いたい」といった投稿があふれる。
かつてアメリカでは、「若者は車を持ち、恋愛し、結婚し、郊外に家を買う」という人生コースが、ある種の“中産階級の夢”として存在していた。しかし今、その前提そのものが崩れつつある。
住宅価格は高騰し、学生ローンは重く、外食費は急上昇した。そこへ「デート代」が加わる。結果として、多くの若者が「恋愛そのものを節約対象」にし始めている。
実際、調査では半数のアメリカ人が、「デート回数を減らした」あるいは「より安い活動を選ぶようになった」と答えた。レストランは公園へ。映画館は自宅の動画配信へ。高級バーはコーヒー1杯へ。恋愛の風景そのものが、インフレによって変わり始めているのである。
支払いめぐり男女間で意識差
そして、費用高騰は、恋愛におけるもう一つの古典的問題――「誰が払うのか」にも影を落としている。
BMOの調査では、交際初期の支払いをめぐり、男女間でかなり大きな意識差が浮かび上がった。男性の71%は、「最初のデートでは自分が全額払うつもりだ」と答えた。一方、女性の52%は「割り勘を想定している」と回答したが、同時に38%は「相手が全額払うことを期待している」と答えている。
つまり男性側には依然として「男が払うべきだ」という意識が強く残る一方、女性側では「平等に分担したい」という考えと、「相手に払ってほしい」という期待が併存しているのである。
インフレによってデート費用そのものが膨らむ中、この「誰が払うか問題」は以前よりはるかに現実的な重みを持ち始めている。
アメリカのSNSでは、「恋愛が感情ではなく経済交渉になった」という声すら出始めた。
日常的な圧迫感が政治にも影響か
興味深いのは、この現象が単なる“若者文化”では終わらず、政治の空気にもつながり始めている点だ。
アメリカでは近年、「生活できない」という感覚が、政権への怒りと直結しやすくなっている。卵も高い。家賃も高い。保険料も高い。そして「デートすら高い」。こうした日常的な圧迫感は、統計上の景気指標以上に、政権への不満を生みやすい。
しかも、恋愛や結婚は、本来「未来への希望」と結びつく行為である。その恋愛にまで「コスト意識」が入り込むと、人々は社会そのものに将来性を感じにくくなる。実際、アメリカでは若年層ほど、「親より豊かになれるとは思わない」と考える傾向が強まっている。

こうした閉塞感は、既存政治への不信や、反体制的・ポピュリズム的な政治勢力への支持とも結びつきやすい。歴史的に見ても、若者が「家庭を持つ希望」を失った社会は、不安定化しやすい。結婚率低下、出生率低下、孤立感の拡大は、単なるライフスタイル変化ではなく、政治的変化の前兆として現れることがある。
もちろん、「デート代が高いから政権が倒れる」という単純な話ではない。だが、「恋愛すら高すぎる」という感覚が社会全体に広がることは、経済不満が日常生活の最も私的な領域にまで入り込んでいることを意味する。
アメリカでは今、「デート・フレーション」という軽い響きの言葉の裏側で、「普通の人生が手に届かなくなった」という、かなり重い感情が広がっているようにも映る。
(執筆:ジャーナリスト 木村太郎)
