米国の権威ある雑誌『The Atlantic』の電子版に10日、次の見出しの記事が掲載された。

「イランでのチェックメイト」

チェックメイトとはチェスの用語で、キングが逃げ場のない王手(詰み)をかけられ、勝負が確定した状態をいうもので、記事の小見出しにはこうある。

「ワシントンは、この戦争に敗北的帰結を覆すことも、制御することもできない」

“世界経済を人質に取れる能力”を示したイラン

筆者は、米国の保守派の代表的な論客でブルッキングス研究所上級フェローのロバート・ケーガン氏で、まずアメリカがこれほど「修復不能な敗北」に直面した例は近年ほとんどないと主張する。真珠湾攻撃も、ベトナム戦争も、アフガニスタン撤退も、最終的にはアメリカの世界的地位を決定的には崩壊させなかった。しかし今回のイランとの対立は違う、と論ずる。

その理由はホルムズ海峡にある。

ホルムズ海峡(資料)
ホルムズ海峡(資料)
この記事の画像(6枚)

ホルムズ海峡は世界の原油輸送の大動脈であり、日本向け原油の大部分もここを通る。その海峡について、世界が「イランは必要なら封鎖できる」と認識した瞬間、すでに戦略的現実が変わった――これがケーガン氏の見方だ。

実際、アメリカとイスラエルは37日間にわたりイランを激しく空爆した。軍事施設だけでなく、高官や指導部も標的になった。しかし体制崩壊には至らず、イラン側から決定的譲歩も引き出せなかった。

それどころか転機になったのはイラン側の反撃だった。

攻撃を受けたラスラファン(カタール・3月18日)
攻撃を受けたラスラファン(カタール・3月18日)

イスラエルによる南パルス・ガス田攻撃の後、イランはカタールのラスラファン天然ガス施設を攻撃した。湾岸エネルギー網の中枢が危険にさらされた瞬間、トランプ政権は停戦へ傾いた。

つまりイランは、「米軍を軍事的に打ち負かす」のではなく、「世界経済を人質に取れる能力」を示したのである。ケーガン氏が恐れているのもそこだ。

イランによるミサイル発射(2026年3月)
イランによるミサイル発射(2026年3月)

仮にアメリカが再び大規模爆撃を行っても、イランは政権崩壊前に大量のミサイルやドローンを発射できる。数発でも湾岸石油施設に命中すれば、原油価格は暴騰し、世界経済は深刻な危機へ陥る可能性がある。

イランは、「核保有国」になる以前に、すでにエネルギーそのものを武器化できる位置に立った――という分析である。

さらに深刻なのは同盟国への影響だ。もしアメリカがイランを封じ込められないとなれば、湾岸アラブ諸国はテヘランとの共存を模索し始める。欧州やアジアの同盟国も、「本当にアメリカは最後まで守ってくれるのか」と疑い始める。

「国際秩序は自然には維持されない」

ケーガン氏は2018年に、次の題名の著書を出版している。

『The Jungle Grows Back(ジャングルは再び生い茂る)』

彼はこの著書の中で、「国際秩序は自然には維持されない」と主張した。世界の本来の姿は、力の政治が支配する“ジャングル”であり、アメリカの軍事力と同盟網、海洋支配があるからこそ秩序が保たれているに過ぎない――という歴史観である。

戦闘終結に向けた提案に対するイランの回答について、トランプ大統領は「ゴミのような文書」と批判
戦闘終結に向けた提案に対するイランの回答について、トランプ大統領は「ゴミのような文書」と批判

ケーガン氏が本当に恐れているのは、「イランとの一戦に敗れること」そのものではない。「アメリカが湾岸秩序を維持できないことを世界が見てしまった」、その事実である。

ホルムズ海峡は、単なる中東の海峡ではない。第2次大戦後のアメリカ海洋覇権の象徴の一つだった。その海峡で、「米海軍ですら完全な安全を保証できない」「イランが世界経済を人質に取れる」「湾岸諸国がテヘランとの妥協を始める」という状況が現実化すれば、それはケーガン流に言えば、「ジャングルが戻ってくる」瞬間なのである。

中東でアメリカの抑止力が崩れれば、中国は台湾で、ロシアは欧州で、「アメリカは本当に最後まで戦えるのか」を試し始める。だから彼は論文の最後で、習近平主席とプーチン大統領の名前まで持ち出している。

興味深いのは、ケーガン氏自身がかつてネオコンの代表的人物だったことである。2003年のイラク戦争当時、ネオコンは「アメリカの力で民主化と秩序形成が可能だ」と考えていた。しかし、イラクとアフガニスタンでの長期戦を経て、ケーガン氏の論調は変化した。最近の彼には、「アメリカは万能ではない」「しかし撤退すれば、もっと危険だ」という、ある種の悲観的リアリズムがにじむ。

今回の「チェックメイト論」も、単なる反トランプ論ではない。ケーガン氏には「ジャングル」が静かに戻り始めているように見えているのだろう。
(執筆:ジャーナリスト 木村太郎)

木村太郎
木村太郎

理屈は後から考える。それは、やはり民主主義とは思惟の多様性だと思うからです。考え方はいっぱいあった方がいい。違う見方を提示する役割、それが僕がやってきたことで、まだまだ世の中には必要なことなんじゃないかとは思っています。
アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレー出身。慶応義塾大学法学部卒業。
NHK記者を経験した後、フリージャーナリストに転身。フジテレビ系ニュース番組「ニュースJAPAN」や「FNNスーパーニュース」のコメンテーターを経て、現在は、フジテレビ系「Mr.サンデー」のコメンテーターを務める。